『貴婦人Aの蘇生』小川洋子(書評)
【2月12日特記】 『博士の愛した数式』で小川洋子を知った。それが面白かったので遡ってこの作品を読んでみることにした。
最初に思ったことは、『博士の愛した数式』と同工異曲である、ということである。
タッチも設定も似通っている。『博士の…』では数学を愛する老数学者、『貴婦人A』では毛皮にAの飾り文字を刺繍する老婦人。そして両作ともに語り手の女性がいて、『博士の…』では語り手の息子(頭の形がルート)、『貴婦人A』では語り手の恋人(強迫性障害を持つ)という、ともに個性の強い共演者を配してある。
ただ、『博士の…』の場合は非常に設定が巧みで、もうそれ以上何もすることがないように見えたのに対し、『貴婦人A』の場合は、この作品を終えるためにはもう一つ何か仕掛けが必要だなという気が(読んでいる途中で)した。
つまり、『博士の…』のほうは、この奇妙かつ絶妙な設定さえあれば、作者の造形した人物が勝手に動き回ることによって物語は勝手に進行し、もうどうとでも終われるように思われたが、『貴婦人A』のほうは何かもう一つ「かぶせて」行かないと物語が終結するだけのエネルギーに欠けるような感じがあった。
ところが、貴婦人が皇女アナスタシアを自称し始めるあたりから物語りはゆっくりと転がり始め、雑誌「剥製マニア」の記者オハラという敵役を得るに至って、少しずつ面白くなってくる。しかし、それでも私は「さて、このあともう一つ、何を仕掛けてきて話を締めくくるのかな?」という気持ちで読んでいた。どうしても少し弱いのである。『博士の…』ほど登場人物が「立ち上がって」いないような気がするのである。
もちろん貴婦人Aは老女なので、彼女が死ねば物語りは終わるということは目に見えている(そして実際に彼女が死んで物語は終わる)。でも、それだけで終わる作家ではないだろうという期待感はあった。確か『博士の…』では博士が死ぬところを描かずに物語を閉じていたはずだ。
などなど思いながらどんどん読み進んで、最後の2章で完全に脱帽した。何の仕掛けもないまま、言わば「力ずく」で話を終結させたのである。紛れもない作者の筆力である。筆力とは描写の力+構成力である。作品の途中にあったいくつか謎の部分は解決しないままぶった切られている。でも、それが気にならない。これはかなりの力技である。ある意味で『博士の…』よりも遥かにパワフルな筆致である。
最初はもっとモダンで小洒落た作家かと思っていたのだが、2作を読んで意外に古風な作家であることが解った。彼女が描いているのは「どんな人間であってもそれぞれの人に尊厳がある」という非常に厳粛なテーマであった。
非常に巧く書けている。巧くなければ決して書けない作品である。
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