『甘美なる来世へ』T.R.ピアソン(書評)
【1月6日特記】 読み始めてすぐにガルシア・マルケスの有名な長編を思い出した。あの小説は読めども読めども改行がなくて難渋したが、この小説の場合改行はまあ1頁に1回くらいの割合で出てくるのだがともかく句点が少なくて、つまり読めども読めども文が終らなくて、しかも読点がやたら少なくて読み辛くてかなわない。
ところが、これは原文からして巧いのか翻訳が巧みなのかは判らないが、読み進むうちにリズムが出てきて、そのリズムに乗ってしまいさえすれば後はスラスラ読めてしまって面白い。
もっとも冒頭の一文が特に一段とだらだら長いのは確かで、それはコケオドシと言うか、単に作者のイタズラなのだろう。
それで内容はと言えば、章が変わるごとに入れ替わり立ち代わり違う人物が出てきて、しかも若干時系列を乱した章立てでもあるという、20世紀終盤によくあったタイプのアメリカ文学なのだが、よくあるタイプの小説と違う点は、登場人物がどいつもこいつもすっとこどっこいばっかりで、まともな奴は一人もいない、というところである。
そして、そのすっとこどっこいがすっとこどっこいなことばかりをするのだが、その様を描く文章がこれまたすっとこどっこいで、例えば「やがてまったく止まってしまい行き先までまだ半分しか行っておらず出発点からもまだ半分しか来ていない(長いので以下省略)」(346頁)みたいな意味のない重複を含めて非常に間抜けなのである。
話は幾度となく逸れ、一旦逸れると丸ごと1章分くらいは脱線しっぱなしで元の筋に全く戻ってこなかったりもして、一体誰が主人公なのかも全く訳が解らないのであるが、それもリズムに乗って読み進めるうちに、どうやらベントン・リンチというすっとこどっこいが主人公であるらしいと判る。
で、このベントン・リンチと、ペアを組むジェーン・エリザベス・ファイアーシーツ(この長い名前が常にフル・ネームで記されているのがまたおかしい)の2人のすっとこどっこいがすっとこどっこいなことを繰り返すのであるが、読み進むうちにさながらボニーとクライド風になって行くところがまた面白くもあり不思議でもある。
しかし、それにしても読み始めてから読み終えるまでに随分時間がかかった。考えてみれば改行も句読点も少ない分、改行ばかりしている作家と比べたら一冊に倍くらいの活字が詰まっている訳で、それを思うと同じ値段で倍の内容を読んだみたいでなんだか得した気分、と言うか、そういう風な考え方ができない人はこの小説を読むべきではないのかもしれない。
この書評、ここまで読んでも褒めているのか貶しているのか、よく判らないかもしれないが、なかなか味わい深くて印象深い(いや、僕の書評が、ではなく、この小説が)。結末まで読むと、このタイトルがまた非常に意味深なんだな、これが。
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