『シカゴ育ち』スチュアート・ダイベック(書評)
【11月5日特記】 シカゴの情景とか、登場する人物の造形とか設定とか、ゆっくりと展開されるストーリーであるとか、そういう個別の要素に分解していては到底語れないような魅力が、この短編集にはある。
そして、息を呑むような、溜息をつきそうになるほど素敵な描写がそこかしこに出てくる。もし、どうしても要素に分解してこの小説の魅力を語るとすれば、それは卓越した描写、研ぎ澄まされた表現にある。
──『冬のショパン』の「音楽が消え去るには時間がかかった。通気口のなか、壁や天井の蔭、浴槽のお湯の下、僕はいたるところにその断片を聞きつづけた」という2行。
『右翼手の死』の「我々が時おり二塁ベースの代わりに放り出しておくタオルに似ていた」という表現。
『アウトテイクス』の「彼はポップコーンをそっと踏むことを教わった」という短い一文。
『失神する女』の最後の箇所で老婆がドレスの裾を引き降ろしてやる一節。
『ペット・ミルク』の「太陽が彼女の太腿に当たって輝いた」という表現・・・。
いやいや、それらがどうして素敵な表現なのかは小説全体を読んでもらわないと解らないだろう。
そして、読んでいると、果たしてダイベックがすごいのか柴田元幸がすごいのかの見極めがつかない。もともとの文章が良いのかもしれないし、翻訳した日本語が美しいのかもしれない( The Coast of Chicago という硬質なタイトルを「シカゴ育ち」と訳して少し情緒を掻き立てたりする芸当が透けて見えるのである)。
詩集の一部を再利用したシュールな部分を含む『夜鷹』だけはあまりに抽象的で読んでいてちょっとしんどかった。それ以外は『熱い氷』、『荒廃地帯』をはじめとして、いずれも秀逸である。柴田が自分で訳した小説の中で一番好きだというのもうなづける短編集である。
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