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Saturday, October 18, 2003

『博士の愛した数式』小川洋子(書評)

【10月18日特記】 『村上春樹と柴田元幸のもうひとつのアメリカ』に収められた三浦雅士と柴田元幸の対談でスチュアート・ダイベックと小川洋子を知った。

「柴田元幸が褒めるのであれば間違いはあるまい」と思って各々1冊ずつを注文したのだが、『博士の愛した数式』のほうは bk1 では在庫切れ──それだけ売れているということであろうが、他の書店では平積みになっている本が在庫切れとは、bk1 も情けない(ということで、他店で買っちゃいました)。

記憶が80分しかもたない老数学者と、そこに通う家政婦、家政婦の息子である野球好きの10歳の少年の3人の心の交流を描いた物語である。数学と野球が見事に物語りに組み入れられている。

数学は面白い。僕も大好きである。学生時代には苦手科目であったが、年を取るにつれて好きになって行く。会社に入ってから、仕事上の必要性から微積分、指数・対数、行列式などを勉強しなおしたことがあるのだが、それ以来ますます好きになって行く。

この物語では、素数というとっつきの良いところから始めて、フェルマーの最終定理に至るまで、見事なまでに巧みに数学が織り込まれている。

「数学には必ず答えがあるから好き」と言った人がいたが、僕が考えるに数学の魅力はそんなものではないと思う。現にこの物語の主人公である博士のような偉い数学者たちは、およそ答えがあるのかないのか解らないような問題を、日夜解こうとしているのである。「必ず答えが出る」というのは、学校の先生が作った問題しかやったことのない人間の言うことでしかない。

僕の考える数学の魅力は、その堅牢な構造である。一分の隙もない、整然とした構成である。美しい秩序、と言っても良いかもしれない。現にこの本の中にも「数学の秩序は美しい」という博士の台詞が出てくる。そして、この物語においても、あたかも数学であるかのごとき美しい秩序が成り立っているようにも思う。

博士は、事故にあった1975年以降の出来事ついては80分しか憶えていられない。家政婦は毎朝博士に会うたびに自己紹介しなければならない。そのたびに博士は誕生日や靴のサイズなどを訊き、その数字にまつわる薀蓄を述べる。家政婦の息子には、頭の形を見てルートと名づける。

僕は、このような設定で進む筋を追いながら、この作品が一体どのような「解」を見つけて物語を閉じようとするのか、とても気になった。

数学とともに、この物語に大きく寄与してるのはプロ野球、とりわけ「完全数」28を背番号に持つ江夏豊である。実際の試合や選手の記録が、数学同様巧みにストーリーに絡められている。

数学と野球──この2つがなければ、これは単に安っぽくて美しいお話に過ぎない。数学と野球がこの物語の美しい秩序を支えている。物語の登場人物がそこから定理を導こうとしている。

さて、あなたはこの物語を読んで、何らかの「解」を得ることができましたか?

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