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Monday, September 22, 2003

『村上春樹と柴田元幸のもうひとつのアメリカ』三浦雅士(書評)

【9月22日特記】 三浦雅士による村上春樹&柴田元幸の読み解き/深読みである。

僕はこの三浦という人が何ほどの人かは知らない。知らないが、これだけのものが書けるというのはやはり大した人なのだろう。しかし、書きっぷりはかなり強引である。強引、我田引水、牽強付会、独善的──どの言葉も当てはまる。

「こんなことを言うと変な奴だと思われるかもしれませんが、でも、ほら、こういう風に読むとこういう風に思えるでしょ」てな感じで書いてくれれば、「なるほど面白いなあ」と素直に思うのだが、それが妙に断定的なのである。

時々さすがに断定が憚られるような箇所では「たぶん」という副詞が添えられる。ところがその後「に違いない」という表現が続く。暫く「たぶん」と「に違いない」が交互に現れたりもする。推論を基に推論を繰り返す。最初は単なる推論であったものが、次に議論を進める際には前提となっていたりする。

それが続きすぎる感じがしてくると、著者は自論を補強するための根拠を提示してくるのだが、その根拠として挙げている理屈がどうにもこうにも強引であったりする。

「いやはや、こういう人と議論すると大変だろうな」と思うのであるが、豈にはからんや、途中第5章から第8章まで著者と柴田元幸の対談になって、ここでは非常にスムーズに会話が進行しているのである。著者も強引にまとめてしまおうとはしていないし、柴田も著者の発言と噛みあう形で論を展開している。ここでは著者の博覧強記ぶりが見事に生きている。

──「なあんだ、こんなふうにも喋れるんだ」と思っていたら、今度は第9章以降で、その対談から柴田の発言をいくつも引いて、またしてもいささか強引な根拠として自論を補強している。──「なあんだ、結局根拠探しのために対談をしていたのかい」という気にもなってしまうというもんだ。

しかし、初めはあまりの強引さに唾を吐きたくなるくらいなのだが、これだけ膨大な読書量と圧倒的な記憶力に裏打ちされた理屈付けを続けられると、なんだかヘラヘラと笑いたくなってくる。──面白いのである。

オタクの話を聞くのに似ている。自分が全く興味のない分野のオタクの話は聞いても単に疲れるだけで聞きたくない。しかし、自分が興味のある分野のオタクの話は、疲れはするが結構面白い──僕はそういう風に読んだ。

ただ、「村上春樹も柴田元幸も、場合によってはダイベックやオースターまでもが皆同じである」というまとめ方は、読んでいてあまり楽しいものではないけどね。

ま、でも、これだけの深読みは面白いですよ、確かにね。

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