『惜春』花村萬月(書評)
【7月5日特記】 セックス描写の妙手・花村萬月による青春物語であるが、今回は主人公が童貞であるところがミソである。
童貞から始まって次第に性豪へと成長して行く話ではなく、いつまでたってもずっと童貞のままなのである。
主人公の佐山がこの作品の終わりまで童貞のままなのか、それとも最後で遂に初体験をするのかについては、これから読む人のために書かないことにするが、いずれにしても作品中では童貞を捨てられそうなチャンスに全く巡り合わずに可愛そうなくらい童貞のままなのである。
従ってこの作品では、あの花村独特の、匂うような、激しい、まさに劣情を催させるセックスの描写はほとんど出てこないのである。
しかし、物語の舞台となっているのは雄琴のソープ街(この当時はまだトルコ街と言っていた)で、登場人物は当然ソープ嬢やソープランドの従業員ばかりであるから、作品のテーマ自体はやはり「性」なのである。
つまり、言うならば花村は得意なセックス描写を自らに禁じながらセックスを描くという荒技に挑戦しているのである。そういう意味で非常に禁欲的な作品であるとも言えるのだが、禁欲が逆に性への衝動を高めるというのもまた真実である。童貞を置くことによって、このセックスを巡るストーリー(と言うか、むしろルポルタージュみたいにも読める)を逆の方向へ際立たせている。
これは両手両足を縛られたマジシャンが見事に箱から抜け出すようなトリックを仕込んだ小説なのである。そして、その試みはまずまずの成功と言って良いのではないだろうか。
ただ、自分の昔を振り返ると、童貞というものはもっともっと焦っていて、もっともっと恥ずかしくて、もっともっと危なっかしいエネルギーを持て余していたものである。主人公の佐山は、それに比べてあまりに淡々としてはいないか?
もっとも、他の登場人物に目をやると、この「濃い」連中を周りに配した場合、このような淡々とした人物のほうが小説の世界は落ち着いてくるのかもしれない。
いずれにしても風俗産業バンザイである。ああ合掌。
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