『漱石の孫』夏目房之介(書評)
【7月15日特記】 読み終わって思ったのは「ああ、よかったなあ」ということだった。「漱石の孫」という呪縛から著者が逃れられて本当によかったと、まるで他人事ではないみたいに思われたのである。
考えてみれば不幸な人である。もしも森鴎外の孫であったなら、森というありきたりの苗字から文豪を思い出す人はいなかっただろう。しかも、房之介という名前である。漱石の本名が金之助であることはかなり有名なので、(スケの字が異なるとは言え)ここでも漱石の孫であることが容易に想像できる。
夏目房之介の作品を読むのは初めてだった。もちろん知ってはいた──漱石の孫として。
僕は漫画家志望のマンガ少年だったのだが、年齢が近すぎたために夏目がデビューした頃にはもうマンガ少年を卒業していた。それでも30代半ばまでは定期購読しているマンガ誌もあったのだが、そこで夏目の作品にお目にかかることはなかった。しかし、もちろん名前は知っていた──漱石の孫として。
その後、彼は漫画評論のほうでも頭角を表わしてきたのだが、僕は単に漱石の孫であるというだけの理由で読むのは嫌だった(しかし、僕が彼について持っていた情報は、漱石の孫ということだけだった)。
このたび彼が初めて祖父に正面から取り組んだ文章を書いて、その文章によって漱石の孫であるという呪縛から解き放たれたようだと聞いて、初めて読んでみたくなった。僕は初めて、漱石の孫としてではなく人間としての夏目房之介に興味を抱いたのである。読んでみて本当に嬉しくなった。
これは漱石の研究本ではない。祖父・漱石のことに加えて漱石の長男(房之介の父)にもダブルで焦点が当てられている。マンガ論も出てくる。一種の紀行文でもある。
それらのバランスが非常に良い。それぞれのテーマとの関わり方がそれぞれ程よい。知ったかぶりをしない。知らないことは知らないと書いている。解らないことは正直に解らないままだ。それは解き放たれた人間にしかない姿である。
本人が書いているように、これは「『漱石の孫』という外在的だった問題を次第に自分の問題とみなしていった過程」(226ページ)の記録である。
ことさらさわやかな記録である。
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