『残響』保坂和志(書評)
【5月24日特記】 この間延びしたダラダラした文体を読み進んで行くと、途中でふと「俺は何のためにこんな小説読んでいるんだろう?」と思ってしまう瞬間がある。恐らくそう思ってしまったら作者の思う壺なのである──もっとも作者がそういうことを狙っていたかどうかは別として・・・。
何故ならば、ふと「俺は何のためにこんな小説読んでいるんだろう?」と思ってしまうのは、この本を読みながら登場人物たちと一緒になっていろんなことを考え始めている証拠だからである。
保坂和志の本は考える人が出てくる考える小説であり、つまりそれは考えさせる小説でもある。
登場する人物はさまざまで、必ずしも立派な人・魅力的な人ばかりではないが、皆が皆よく思索に耽るのが特徴である。まさに「思索に耽る」という表現が適切なのであって、「思いをめぐらす」のとはちょっと違うし「思慮深い」というわけでもなく、「思想性がある」などと言えばもっと遠くに行ってしまう。
巻末の「解説」にはなんだかもっともらしいことが書いてあったけれど、ちょっと小難しくていけない。そういうのとはなんか違う気がする。もっと素朴なことではないかと思う。でなければ、こんなに何も起こらない小説を書けるものだろうか、読めるものだろうかと思ってしまう。
登場人物はいろんなことを考えていろんなことを思う。全般にウダウダしてはいるが、意外に筋は通っていたりする。
たくさんの人物の視点で入れ替わり立ち代りたくさんのことが語られる。人物は程よく描き分けられて、それほど際立たない代わりにどの人物にもなんとなく捨てがたい魅力がある。
そして、そんななんやかんやを読み進むうちに、読者は時々「これ、いいなあ」という考え方にぶつかる。そう、この本に収められた2編の小説は、時々「なんか、これ、いいなあ」と思わせるような作品なのである。
みんな、もっといろんなことを考えれば良いのに。そうすれば、世の中もっと良くなって、自分なりの「なんか、いいなあ」というものに到達するかもしれないのに──僕の場合は、結局読み終わってそんなことを考えていた。
なんか、いい小説である。
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