"THE CATCHER IN THE RYE"J.D.SALINGER(書評)
【3月28日特記】 この小説が書かれたのはもう半世紀以上前だ。僕が読んだのは名訳と言われた野崎孝による訳本で、もう20年以上前のことになる。
そして今年、村上春樹による新訳が出る前に、どうしても原文で読んでおきたくなって読んでみた。サリンジャーの作品で、原文で読むのは3作目である。
米口語表現にある程度通じていさえすれば読むのはそう多難ではない。多分大学生の時よりも早く読めたのではないかと思う。
原文で読んでみて初めて解ったのはこの文章の持つ美しさである。詩的でさえある。これは英語で読まなければ解りっこない。
書いてある内容は、表面的には主人公 Holden Caulfield によるほとんど罵詈雑言としか言いようのない代物である。
しかし、汚い罵倒が続けば続くほど、彼がふと思い出す素敵なもの、That kills me と言えるもの、例えばその多くは死んでしまった弟 Allie についての思い出であったり、現実に生きている妹の Phoebe のことであったり、あるいは学校生活の中であった例外的に素敵な記憶であったりするのだが、そういう描写が見事に活きて来るのである。
だらだらとした長文が多い中、時折挟みこまれる短い文章、短いフレーズ。このリズムがとても気持ちが良い、というより美しい気さえする。繰り返し使われる phony, lousy と言ったけなし言葉、あるいは意味もなく頻繁に使われる and all や this や sort of といった表現さえいとおしい気がしてくる。
自分のHPにも書いたのだが、Salinger は絶対書きようのない世界を見事に的確に書いてしまっている。何故Holden がいろんなことに嫌悪感を燃やすのか? そのことを論文で書くのは不可能で、恐らく小説という手段に頼るしかないだろう。しかし、小説という手段を以ってしても、ここまで見事に書ききれたのは多分この小説における Salinger だけではないだろうか。
そして気づいたのは、悲しいことに野崎訳はもうどうしようもなく古くなってしまったということだ。ここに書かれた話し言葉は現在の若者言葉と遥かにかけ離れている。もちろん原文の英語も若干色褪せてはいるだろう。しかし、野崎訳はそれ以上に朽ちてしまった。
それは今では落語でしか聞けないような江戸弁でしかない。この当時としては確かに名訳であったのだろう。でも、誰かのことを「奴さん」なんて呼ばれると、今では読んでいて笑ってしまうし、苦労して訳しているのはよく判るが、Fuck you は断じて「オマンコシヨウ」ではないはずだ。
村上春樹が改めて邦訳に取り組まなければならなかった理由がここにある。彼が原文の持つ美しさをどこまで再現してくれるのか、とても楽しみである。
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