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Saturday, February 22, 2003

『ジャパニーズ・ベースボール』W・P・キンセラ(書評)

【2月22日特記】 W・P・キンセラと言えば判で押したように映画『フィールド・オブ・ドリームス』の原作となった『シューレス・ジョー』の作者という紹介文がついているが、そろそろそういう受けとめ方は卒業しても良いのではないか。彼は単なる一発屋ではなく、また決して寡作な作家でもない。

近作で言えば、愛情たっぷりにイチローを描いたスポーツ・ルポ「マイ・フィールド・オブ・ドリームス」があるし、野球を離れれば「ダンス・ミー・アウトサイド」を始めとするインディアンもの(ただし国はカナダ)のシリーズがある。そして、彼の本領発揮の分野である野球小説の最新短編集がこれである。

野球小説と言っても必ずしも野球のゲームを描いている訳ではなく、訳者あとがきにもあるように、「俳句の季語のように、何らかの形で野球に関わっていさえすれば必要条件がみたされる」「非常なヴァラエティに富んでいる」作品群である。

登場人物がプロ野球関係者であるというだけで、凡そ野球とは関係ない作品もある。ただ、全ての作品の背後に、野球に対する、野球というものの持つマジックに対する愛と畏敬の念が埋め込まれているのが解る。

現代の短編小説の中には、何がなんだか解らないまま、バサッと切られたみたいに終わっているものがある。今ひとつ釈然としないまま、「さあ、余韻を楽しめ」と言われているようで、読み終わって困惑してしまうことがある。

キンセラの作品はそういう小説ではない。この人の本分はストーリー・テリングにある。そういう意味で、一番きれいにオチがついているのが表題作の『ジャパニーズ・ベースボール』だろう。登場する日本人の名前が妙だが、彼なりの日本人感がよく表れている。

そして、僕が一番惹かれたのが『波長』である。

「車を走らせていくと、八十キロメートルおきくらいに放送局が変わる。(中略)たとえば、ほんの数分前まで、素敵なカントリーミュージックの局が入っている。(中略)ところが、その局はだんだんと聞こえなくなっていき、しまいに消えてなくなる。すると、引っかくような、きしむような音でまた別の番組、ニュースとかトーク番組が入ってくる。そんな具合だ。ラジオ局はかなりの距離が離れていないと同じ波長で放送できない。人間同士とずいぶん似ている」
(247ページ)。

こういう比喩、こういう人間観察はほとんどキンセラの名人芸と言っても良いのではないだろうか。

全体的に挫折の話が多い。それは野球に対する挫折であったり、人生そのものに対する挫折であったりする。が、いずれにしても、打ちひしがれた人間を優しく、しかし冷静に扱えるのがキンセラの真骨頂と言って良い。

それは野球に対する愛情であり、人間に対する愛情でもある。

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