『二進法の犬』花村萬月(書評)
【2月9日特記】 花村萬月という人はセックスの描写にかけては追随を許さないすごさがある。この作家を最も際立たせるのはセックスの場面ではないだろうか?──そんなことを書くと、「花村萬月の実力を矮小化している」という批判を頂くのかもしれないが、いや、この際ほかの場面なんてどうでもよくなるくらいセックスがすごいのである。
女性の目から見れば「都合が良すぎる」という声も聞こえそうだが、もうめちゃくちゃに気持ち良さそうなセックスなのである。読んでいて劣情を催すこと間違いなしなのである。
この物語はフリーターの家庭教師がヤクザの組長の娘の家庭教師になるところから始まるのだが、初めは読んでいてなんとなくのめり込めない。
主人公の鷲津の性格がはっきりしない。弱い男であると文中にも書いてあるのだが、必ずしも弱いようには読めない。軟弱なのかしたたかなのかよく判らない部分がある。両義性を持った男という規定もなされているようだが、描き方としては不分明という感じが強い。性格について文中で語りすぎている嫌いがある。
ところが、堅気の鷲津がヤクザの修羅場に巻き込まれるに至って、漸く鷲津の弱さが際立ってくる。本当に面白いのはここからである。女、博打、暴力、暴走(カー・チェイス)、そして死──エンタテインメント要素てんこ盛りで息をもつかせぬ展開になって来る。
そして、鷲津が京都に旅行する話になってストーリーはやや停滞。そのかわりここでもセックス、セックス、セックス!
東京に戻ってからはもう完璧にヤクザ映画の世界である。しかし、その中で堅気の鷲津がヤクザに染まってゆくかと言えばそんなに甘いものではない。ここで鷲津が急にいっぱしのヤクザとなって大活躍でもしようものならせっかくの巧妙な設定が絵空事になってしまう。作者はその点をちゃんと踏まえている。
鷲津がいくら経験を積んで度胸がつき、考え方に変化が現れたとしても、所詮堅気として超えられない限界がある。限界があるから苦悩が生まれる。──それがこの小説の鍵となる構成であって、この小説が面白い所以なのである。
巻末の「解説」はひどかった。先にこれを読んでいたら、本編を読む気にはまずならなかっただろう。解説者は本作品の哲学的な要素を随分お気に入りのようだが、私はむしろ「良質のエンタテインメントである」と強調したい。
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