『トム・ゴードンに恋した少女』スティーヴン・キング(書評)
【10月13日特記】 トリシア・マクファーランドという9歳の少女がメイン州の広大な森で何日間にもわたって遭難する話である。スズメバチに刺されたり谷から転げ落ちたり食物が尽きたりと次々と苦難が少女に襲い掛かる。
もっともっといろんな仕掛けがあっても良さそうなものだが意外に山場は少なく、また怖くもない。そういう意味ではこの小説はホラーではなく、ありきたりの冒険小説でもなく、言わば現代アメリカの家族とキリスト教とメジャーリーグの三題噺なのである。
北アメリカの大自然を背景に据え、離婚や家族の断絶をはじめとする多くの問題を抱えるアメリカの家庭を土台にしながら、この小説で語られるのはキリスト教に裏打ちされた希望である。そして、その希望はイエス・キリストや聖職者といった薬臭い形をとって現れるのではなく、トム・ゴードンというメジャーリーガーの姿で、主人公の少女の前に立ち現れる。
良い話ではあるが、そこで語られているのは逆に典型的にアメリカ的な人生観でもある。しかし、そこで何よりも驚かされるのはアメリカ合衆国におけるメジャーリーグの圧倒的な地位の高さである。
これが日本であれば「プロ野球選手に憧れて、彼への思いを支えにして苦難を乗り切って行く少女」という設定はとても成り立たない。だから、ある意味ではこれは野球小説であるという見方もできるのである。
わざわざ指摘するまでもないが、さすがにキングらしい抑制の効いた確かな筆致である。怖い本だと勘違いしないで読むのであれば、なかなかのエンタテインメントではある。
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