『海辺のカフカ』村上春樹(書評)
【9月29日特記】 地下鉄サリン事件のルポルタージュである『アンダーグラウンド』、阪神大震災を織り込んだ短編集『神の子どもたちはみな踊る』を経て久しぶりに出た書き下ろし長編なので、妙に説教臭くなってないかと心配したのだが、その点については杞憂だった。
ただ、やはり村上春樹はそのスタンスを少しずつ動かしているような気はする。
長らく村上は「世界」を構築し続けていた。その彼が「社会」を描き始めた。「世界」は意識するものにしか見えないが、「社会」は人間の意識とは無関係に巌として存在する。うっかり歩いていると社会の壁にぶつかることがある。
その「社会」にドンとぶつかって尻餅をついた村上が「やれやれ」と言いながら立ち上がって書いた小説──そういう印象がある。
「僕」と「ナカタさん」という2人のやや異端の人物が主人公なのであるが、この物語を支えているのは「星野青年」を初めとする、非常に魅力的でかつ普通の人たちである。直感的に信じたものを素直に信じ続ける彼らの行動が一番の救いになっている。
いつものように小説の中に散りばめられた謎は必ずしも解決されることなく放置されている。しかし、星野青年に関する描写は極めて完結している。ひょっとして村上はこれらの脇役を描きたかったのかもしれない。それが「社会」に対する彼のスタンスなのではないだろうか。
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