『放送禁止歌』森達也、デーブ・スペクター(書評)
【8月10日特記】 一般の方は読んで驚かれるのかもしれないが、同じ放送業界に籍を置いている僕にとっては、この話は別に目新しいテーマではない。むしろ以前からモヤモヤとして釈然としない気分であったものを、よくぞここまで紐解いてくれたという感じがする。
論旨は明快である。特に序盤は明快すぎてややつまらない感じさえする。
著者は「放送禁止歌」という現象を糸口にまず差別という問題にぶつかる。そこから彼なりにさらに掘り進んで辿り着くのは「自主規制」という看板を隠れ蓑にした責任放棄であり、事なかれ主義の思考停止でしかない。
著者は所謂「東」の人であり、「西」の住民であった僕のように少年期に「差別」の洗礼を受けていない。僕のクラスの中では明らかに差別があった。小学校で「同和教育」を受け、ある日校区内に「解放会館」なる施設が建った。
著者はそういう経験も知識も全くないまま、この問題に取り組み始めたわけであるが、そういう人である故に却って何の先入観もなく非常に虚心坦懐なアプローチができている。もちろんそういう人であるが故の混乱や苦悩も見える。
この本の良いところは、そんな著者の人柄が見えるところである。こういう本はともすれば大上段に振りかぶって「社会を糾弾する」とか、「問題点を抉り出す」とかいうトーンになってしまって、読まされたほうは「それじゃお前はどうなんだ」と言いたくなってしまう。
この本の場合は著者がそういう第三者的立場に陥ることなく、丹念に問題点を辿って行く姿がよく見える。著者の悩みも思い違いも、その都度隠すことなく披露されている。僕らは読みながら、著者が歩いたと同じ旅路をなぞることになる。
結局のところ、差別に正面から対峙できるのはこの著者のような態度でしかないのではないだろうか――そんなことまで考えさせてくれる良書である。
※ この書評で初めて bk1「今週のオススメ書評」に選んでいただきました。そして、実はこの後3投稿連続で bk1「今週のオススメ書評」に選ばれることになりました。
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