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Sunday, March 24, 2002

『GO』金城一紀(書評) 

【3月24日特記】 若い作家が書いたものにはどうしてもどこか未熟な点があるものである。この小説で言えば、それは桜井という女の子の描き方にある。

小説を書いたことのある人にしか解らないかもしれないが、僕たち男性はともすればこういう理想の女の子を描いてしまいがちである。ものすごく可愛くてものすごく不思議な女の子──だが、残念ながらこういう女の子は現実にはいない。

そういう意味で、この小説はオジサンたちには受けが悪いのではないかと思う。

しかし、現実にいない人間を書いているから作家としての技量が低いという見方がある一方で、現実にいそうもないから作中人物に惹かれてしまうというのも道理である。

とは言え、この小説の場合は作家がそこまで計算して書いているとは思えないので、もっと「その辺にいそうでありながら、しかし魅力的な女性」を描けるようになって初めて、この作家は評価されるのではないだろうか。

他の点は申し分ない。一番大切なことだが、何よりも読んで面白い。よくできた青春小説である。

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