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Saturday, February 16, 2002

『学問のすヽめ』福沢諭吉(書評)

【2月16日特記】 書かれた時代から何年経っても色あせないのが「古典」だと言う人がいるが、実はそれは嘘で、本来は若干の色あせ具合を楽しみながら読むのが「古典」である。

ところが、この稀代の名著は今読んでも全く色あせていない。まさに今こそ手にとって読むべき書である。

元々は、福沢諭吉という知識人が、「明治」という新時代に突入した日本国民に対して進取の気質を勧めた本ではあるが、一方で現在の日本の置かれた閉塞状況にこれほどまでにあてはまる論はないと思われるくらいだ。

ただし、それは福翁が百年を見渡す慧眼を持っていたことによるのではなく、残念ながら、この百年間日本が何も進歩してこなかったことの揺るがぬ証拠である。読み終わって暗澹たる気分になった。

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