Thursday, June 20, 2019

『ニムロッド』上田岳弘(書評)

【6月20日 記】 不思議な小説を読んだ。

主人公の名前はカナ書きするとナカモトサトシ──ビットコインの考案者とされる謎の人物と同姓同名だ。事実この小説は、主人公が社長の気紛れからビットコインの採掘に従事させられるところから物語がはじまる。

でも、この小説は、ナカモトサトシと聞いてピンとくるような、そんな IT好きの読者を想定したものではない。

説明がやたら丁寧、と言うか、主人公はホスティングとハウジングの会社に務めるまでサーバーという言葉を知らなかったなどと、とても知識レベルが低い、というか、ありえない設定である。そうまでして最初に「サーバー」という用語を説明する必要があるのか?

「NAVER まとめというサイト」みたいな記述が出てくるところも引っかかる。なんでわざわざ「というサイト」と書く?

これらをどうして登場人物の台詞としたのだろう? IT の会社に務める中本たちは当然知っているものとして、地の文で説明すれば良いではないか?

それをしないのは、とりあえずこの設定は単に借りてきた設定であって、何も必然的な設定ではなく、そのことによって読者を逃したくない、ということなのか? うん、確かにこの、最初から宙に浮いたような雰囲気を醸し出すには有効な道具立てであったのかもしれない。

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Saturday, June 08, 2019

映画『町田くんの世界』

【6月8日 記】 映画『町田くんの世界』を観てきた。

原作漫画があるらしいが、これは見事に石井裕也監督らしい、石井裕也らしさが溢れかえる映画だ。一昨年キネ旬1位に輝いた『夜空はいつでも最高密度の青色だ』よりも僕はこの映画が好きだ。

その遊び心やケレン味は『川の底からこんにちは』に戻った感がある。あるいは『舟を編む』のときの感じ。

いや、もっと言うと、“ニュアンス映画”と銘打たれた『の・ようなもの』を撮ったころ(つまりデビュー当時)の森田芳光の感じ。あるいはもうちょっと後の『家族ゲーム』や『間宮兄弟』みたいな、ニュアンスたっぷりな映画。

主人公の町田くん(細田佳央太 =ほそだかなた)は高校生。メガネを掛けた地味な少年。走るのはめちゃくちゃ遅く、信じられないくらい勉強ができない。でも、人が大好きで、自分のことはそっちのけで周囲の人たちを思いやる。「キリスト」とか「全人類が兄弟だと思っている」などと言われている。

その町田くんとたまたま保健室で鉢合わせした猪原さん(関水渚)はそんな変人の町田くんに、自分でも何故だかわからないけれどどんどん惹かれていく。町田くん自身は恋がどんなものか知らず、猪原さんに対しても他のクラスメートに対しても的外れな対応をしていたが、ある日そんな町田くんにも猪原さんに対する“わからない感情”が芽生えてくる。

善意を描いた、とても良い話である。説教臭くも薬臭くもなく、それどころか町田くんの素っ頓狂な態度に、映画館内のあちこちから笑いが漏れる。声を上げたり拍手をしたりしながら笑っている人もいる。

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Thursday, June 06, 2019

『文系でもよくわかる 世界の仕組みを物理学で知る』松原隆彦(書評)

【6月6日 記】 読んで愕然とした。僕が中高で習った化学や物理学の知識の一部は今では全然通用しないのだと知ったから。

分子は原子からできており、原子の中には原子核と電子があり、原子核は陽子と中性子に分解されるが、もうそれ以上細かく分割することはできない、と確か習った。

ところが、今ではそれらの粒はクォークと呼ばれるさらに小さい粒に分解できることが判っているのだそうな。アップクォーク2つとダウンクォーク1つで陽子、アップクォーク1つとダウンクォーク2つで中性子になるとのこと。全ての物質はクォークと電子でできているとのこと。

──何それ!? いつからそんなもんあるんですか!? 誰も教えてくれなかったよ。

それから、原子の中で、原子核の周りを電子がクルクル回っていると確か教わったけど、それも今では違うと考えられているとのこと。

──え? そうなんですか!? 教科書や参考書で何度も目にしたあの図解は間違い?

昔の人は地球が丸いことも地球が太陽の周りを回っていることも知らなかったんだよな、と他人事みたいに言ってたけど、それってまるで今の僕のことじゃないですか!

でも、落ち着いて考えると、結局のところ、「ああ、良かった。この本を読んで」というのがまことに素直な感想。

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Wednesday, May 29, 2019

『インヴィジブル』ポール・オースター(書評)

【5月29日 記】 2009年の作品だが、邦訳としてはこれが最新刊となるオースターの長編。僕もそのほとんどを読んでいるが、もう何冊目なのか定かでない。

読み始めるとすぐにそれはオースターである。もうどこから見てもオースターでしかない。

オースターが書いているんだからそりゃオースターでしょ、とオースターを読んだことのない人なら言うかもしれないが、すでに何冊か読んでしまっている読者にとっては、これは全くオースターでしかない、「オースターでしかない」としか形容できない小説世界なのだ。

ストーリーはゆっくりと動くようでありながら、いつの間にか僕らは何だかざわざわした気分になり、気がついたら宙吊りにされている。でも、宙吊りで固定されているのではなく、どこか予想できない方向に強い力で静かに引っ張られている。

そう、サスペンスである。サスペンスという言葉はそのまますっかり日本語になってしまっているが、基本的に意味するところは「宙吊りにされた状態」である。

そして、タイトルのとおりインヴィジブル。見えないのである。

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Thursday, May 02, 2019

『静かに、ねぇ、静かに』本谷有希子(書評)

【5月2日 記】 この本から教訓を読み取ろうとしてはいけない。だって、ここにあるのはただの悪意だもの。あるいは毒かもしれない。悪意や毒からは教訓は読み取れない。

本谷有希子の本を読むのは実はまだ2冊めでしかない。あとは新聞に連載していた記事を読んだ程度。彼女の芝居は一度も見たことがない。僕の記憶に強烈に残っているのは彼女の小説を原作とする映画『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』だ。

そこにあった悪意がここにもある。あそこにあった刺すような洞察がここにもある。

ここには3編の短編が収められている。

最初の「本当の旅」は3人の若者(でもないか)がクアラルンプールに旅行に行く話。グループ・ライン、インスタ、自撮り棒──そんなものを駆使しながら、「意味がない行動を大事にする僕でありたい」という独特の思いを一生懸命実践しようとする。

その結果、彼らは見知らぬ国でどんどん窮地に陥って行く。いや、嵌っていく当人たちよりも、読んでいる読者のほうが怖い思いをしてしまう。彼らが窮地に陥るさまが怖いのではなく、どんなにひどい目に遭っても、そして、この先もっとひどい目に遭いそうな気配の中でも、それを前向きに解釈しようとする彼ら3人が怖いのである。

その3人を、著者は明らかな悪意を以て描いている。

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Tuesday, April 23, 2019

『錆びた太陽』恩田陸(書評)

【4月23日 記】 直木賞受賞後の長編第一作ということである。今まで恩田陸にあまり馴染みのなかった読者は、直木賞を受賞した『蜜蜂と遠雷』の線を想像したかもしれないが、実は恩田陸の中にはいろんな恩田陸がいる。

SFっぽい話もあれば、魔法みたいな話もある。一見魔法めいていて、実は超現実的なことは取り立てて起こっていない話もある。

人間の心の襞をなでて行くような作品もあれば、少年少女が心踊らせる物語もある。濡れた紙がぺっとりと肌に吸い付くような精緻な描写もあれば、やや隙きがありながらもポップに弾む文章もある。

しかし、それにしてもこの文章にはあまり感心しない。なんだか恩田陸らしくない不完全な感じ。ギャグがすべっている向きもある。そして、ちょっと説明的に過ぎる嫌いのある筆運び。

恐らく原発関連と思われる「最後の事故」によって国土のかなりの部分が立ち入り制限区域となり、7体のロボットだけがそこに駐在して日夜パトロールをしている日本のどこか。そこにある日国税庁から来たと言う変な女がやって来る。名前は財護徳子。

彼女の目的が何なのかよくわからないまま、「ボス」を筆頭とする7体のロボットたちは結局彼女に協力することにする。

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Thursday, April 04, 2019

『ハロー・ワールド』藤井太洋(書評)

【4月4日 記】 僕にとっては全然知らない作家の全然知らない作品だったのだが、シミルボンの書評が目に入って、それがとても面白そうだったので読んでみることにしたら、これがまた期待以上に面白くてぶっ飛んでしまった。

ものすごく乱暴にカテゴライズしてしまうと、これは IT小説ということになるんだろうか? しかし、IT小説というネーミングから思い浮かべるのは、単に IT の専門知識を設定やストーリーに巧く組み込んだ小説である。

ところが、この小説の場合はそれだけではない。いや、むしろ面白いのはそこではないのだ。登場人物が誰も彼もとても魅力的なのだ。

主人公の文椎(ふづい)はバリバリのエンジニアではない。彼自身の表現を借りると、

そもそも僕に専門的な知識はない。ちょっとしたプログラミングとチームの管理、それにプロモーションや文書書きなどもやる何でも屋だ。

ということになる。ただし、彼は企業に属して(一応属してはいるのだが)与えられた仕事を淡々とやる人間ではない。会社の中では何でも屋として世界中を飛び回りながら、自身の人的ネットワークを通じていろんなことに手を出す。

そして、何よりも彼は正義感が強い。いや、反骨精神があると言ったほうが良いか。権力者が弱者の権利を奪って好き勝手するのを黙って見ていられない。そういうわけで彼は日本でも外国でも、意図せずにいろんな国の当局を敵に回してしまい、とんでもない厄介事に巻き込まれる。

それに対して彼は命がけで立ち向かう、わけではない。彼はそんなタフ・ガイ・タイプではないのである。自分の弱さは充分知っている。死ぬぐらいなら志は捨てる。しかし、彼の面白いところは、そこでただ黙ってすごすごと引き下がるのではなく、ほんのちょっとでも良いから“一泡吹かせてやろう”とするところである。

そこが読者にとって痛快なのである。

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Wednesday, April 03, 2019

『ブロックチェーン』岡嶋裕史(書評)

【4月3日 記】 昨今注目度が高まっているネット上の新技術“ブロックチェーン”の解説書なのだが、あまりに解りやすくて驚いた。前に読んだブロックチェーンの本を棄てたくなったくらいだ。

いや、解りやすいと言っても、モノがモノだけに、幼児向けの絵本を読むように頭に入ってくるものではなく、少なくとも高校の教科書よりは難しいと考えておいたほうが良いだろう。でも、その難しい概念を極力分かりやすくとっつきやすい方法で解説してあるのは確かである。

僕なりにこの本の長所を並べると、

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Wednesday, March 13, 2019

『デジタルネイチャー: 生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂』落合陽一(書評)

【3月13日 記】 落合陽一の出演するイベントには何度か行った。でも、彼が書いたものを書籍という形で読むのは『超AI時代の生存戦略』以来まだ2冊目である。しかし、なんであれ今回も面白い。どういう面白さなのかと言うと、圧倒的にスリリングな面白さである。

それは僕らがものを考えたりまとめたりする上で前提となる基本的な認識だと思っていることを悉く覆してくれるからだ。いや、覆すとかひっくり返すとか、そんな感じじゃない。それが決して前提でも基本的認識でもないということが落合陽一には初めからきっと見えているのだと思う。だから初めからそういうこだわりがない。

デジタルネイチャーという造語を「計算機自然」という、形容矛盾を内包する日本語に逆翻訳する辺りが如何にも小憎らしい。

でも、本当にこんな風に機械と自然が融合してしまう時代が来るんだろうか? 人が自分の興味のある情報しか仕入れなくなってどんどんオタク化してくる一方で、自分の興味のない分野のことは AI がネット上に記憶していてくれるからそれで大丈夫なのだという楽観論は本当に大丈夫なんだろうか?

そういう意味で今回のこの本もやっぱりやや危ない匂いはする。でも、その不安の衣を1枚ずつひっぺがすみたいに、落合の論考は続く。

この本の副題を見よ。なんだろう、このミケランジェロ的な学際的知性の膨大な広がりは。第2章の表題の通り、人間機械論とユビキタスと東洋的なものがごちゃまぜに、しかし有機的にひとつになっている。

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Tuesday, March 05, 2019

『クリエイターのための権利の本』大串肇、北村崇、木村剛大、古賀海人、齋木弘樹、角田綾佳、染谷昌利(書評)

【3月5日 記】 クリエイターのための権利の本である。「著作権トラブル解決のバイブル!」という副題がついている。

バイブルという表現は大げさだ、と言うか、この本のイメージはバイブルというような聖なるものではなくて、どっちかと言うとぴったり来る表現は「アンチョコ」である。

表紙にもこんな説明文が載っている:

現場でトラブルになりがちな権利の問題について
✓クリエイターとしてやってはいけないこと
✓権利を侵害されたときの具体的な対処法
をわかりやすくまとめたクリエイターのバイブル

って、またバイブルと書いてあるが、むしろバイブルや学術書にありがちな概念的な、あるいは理念的な記述を避けて、どこまでも具体例に沿って書いてあるから分かりやすい。

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