Thursday, December 12, 2019

『されど私の可愛い檸檬』舞城王太郎(書評)

【12月12日 記】 『私はあなたの瞳の林檎』を読んで、この、僕にとっての全く brand-new な舞城王太郎に僕は参って、その勢いが止まらずに姉妹編の『されど私の可愛い檸檬』に突入したのだが、こっちもまたべらぼうに面白くてべらぼうに新しい舞城王太郎だった。

この2冊は何だろう、例えば大瀧詠一が『A LONG VACATION』を出した時の衝撃に似ている。はっぴいえんど時代からずっと、ちょっとヘンテコリンな曲ばかり書いていた人に、えっ、こんなにメロディアスなポップスも書けたの?という驚き。

今回はヒップホップの作曲家がクラシックの曲を書いてきたような衝撃。

『私はあなたの瞳の林檎』が若い子たちの、詩のような恋愛の話だったからこちらもそうかと思って読み始めたら、なんのなんの、こちらはもう少し年代が上の、それ故かなりシヴィアな世界ではないか。

最初の短編『トロフィーワイフ』は主人公(扉子)の姉(棚子)の夫(友樹)が“愛の真実”に目覚めてしまい、それは彼にとって妻への愛情を些かも削ぐものではなかったのだけれど、その言葉に引っかかりを覚えた棚子が出ていってしまうという話。

正直。《完璧》って天体のさらに惑星直列、みたいなのが、どうやら姉を中心に起こっている。

などという、如何にも舞城王太郎らしい表現にときどき出くわすのだが、しかし、それは最初から舞城王太郎作だと知って読んでいるからであって、誰だか知らずに読んでいたら、このストーリーから舞城王太郎を想起する人は少ないのではないだろうか。

で、これは夫婦の物語かと思って読んでいたら、いやいや後半は扉子と棚子の壮絶な姉妹の諍いの話になる。

そこには生まれつきの2人の性格と、小さなころからの2人の関係性が根深く結びついていて、この設定と展開が、奇抜ではあるが全くリアルで、並の読者には歯が立たないのである。

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Tuesday, November 26, 2019

『私はあなたの瞳の林檎』舞城王太郎(書評)

【11月26日 記】 読むのは久しぶりだが、舞城王太郎は僕の大好きな作家だ。初めて読んだ『阿修羅ガール』で完全に魅了されてしまった。
そのとき投稿した書評に僕はこんなことを書いていて、

ラップだね、これは。そう、ラップのリズム。

この表現はいまだに自分のお気に入りである。そう、文体にこんなにリズムを感じさせる作家は他にはいないのである。

で、その後、『九十九十九』や『好き好き大好き超愛してる』や『ディスコ探偵水曜日』などを貪るように読んで、でも、こういうジャンルを読み慣れていない者には却々しんどい展開であると感じながら、しかし、リズムに乗ってどんどん読み進める。

軽ーい若者の凝りすぎの流行り物の擬態を纏っていても、基本的にべらぼうに文章が書ける人で、だからその文体をリズム・マシーン代わりにどんどん内容が入ってくる。

と思っていたら、なんだ、この本は。まるで「ずっと前からジュヴナイル純文学書いてましたけど、何か?」と言っているみたいに平易で読みやすい文体、と一見そう思うのだが、

う~んいかにも美術やってる若い子っぽい痛い会話だなと我ながら思うけど、いかにもな会話を素でやっちゃうものなのだ実際にその場に立つと。
(「ほにゃららサラダ」)

って、見てよ、この句読点の使い方。句点が1つと読点が1つしかない。並の作家が書けば読点があと2つか3つか増えるだろ。それに倒置してるし。これ、まさに『阿修羅ガール』からずっと来てる文体であり、リズムなのである。

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Saturday, November 16, 2019

『かがみの孤城』辻村深月(書評)

【11月16日 記】 名前は知っていたが初めて読む作家である。中学生たちが主人公の小説だからか、それともこの作家は常にそうなのかは分からないが、ともかく文体が平易で、逆にそれが僕にとってはちょっと我慢がならないくらい物足りない。

いや、読んでいる最中の読者に文の巧拙を感じさせてしまうのは、物語の背後の書き手の存在を露わにしてしまっているわけで、それはそれで好ましくない。でも、例えば、恩田陸などはそういうことを全く感じさせないが、改めて思い返すと文章はべらぼうに巧い。

僕は基本的にそういう作家が好みなのであって、この作家には言わばそういう感じがないということだ。

ただ、文章が下手なのではなく単に平易なのであって、ストーリーのドライブは非常に巧い。読者は全くつっかえたりひっかかったりすることなく、どんどん読み進んでしまうのも事実である。

主人公のこころは中1の女の子。クラスの中心的な女の子に目をつけられてハブられるようになり、学校に行けなくなる。親には申し訳ないと思いながら、でも、親に相談することもできず、結局毎日家で無為な時間を過ごしている。

ある日、こころは自室の姿見が光っているのに気づく。おそるおそる触れてみると硬い感触がなく、そこを抜けることができる通路になっており、抜けた先には宮殿のようなものがある。そして、そこには自分と同じような境遇の(ということは後に判るのであるが)6人の男女中学生が、自分と同じような体験をしてここに来ていた。

そこに7歳くらいの、ヒラヒラのドレスを着た“オオカミさま”が現れて、この城は毎日9時から17時まで開いていること、逆に17時前には一旦もとの家に帰らなければならないこと、そして、この城は来年の3月30日までしか存在しないこと、そして、それまでに鍵を見つけたものが1人だけ望みを叶えてもらえることなどを説明した。

作者は、こころを除く6人の中学生の鏡の向こう(現実世界)での生活については、読者にあまり情報を与えない。鏡の両側で描かれるのはあくまでこころである。

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Wednesday, November 06, 2019

『難しいことはわかりませんが、統計学について教えてください!』小島寛之(書評)

【11月6日 記】 本屋で立ち読みして、タイトルの通り難しくなさそうだったので買って1日(と言うか2時間ぐらいかな)で読み終えた。で、その解りやすさに改めて驚いた。

いや、僕の場合は、もう 20年以上前にはなるが、仕事上の必要から統計学を少しかじった経験があるからなのかもしれず、全くの知識ゼロから統計学に入門しようとしている人たちにも同じように解るのかどうかは分からない。

ただ、そういう人たちにとってもかなり優れた書物なのではないかと思う。

僕の場合は、一度は一応理解したのだけれど今ではさっぱり忘れてしまったことや、ざっと理解した気になっていても部分的に結局は深く理解できずにいた点や、あるいは、当時から全然理解できないまま放置してあった項目が、この本を読んで圧倒的に改善した。

そして、それだけではなく、いろんな定数や数式や定義が、なんでそうなのかという点で見事に繋がってきた。これはすごいことである。

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Wednesday, October 30, 2019

『雪の階』奥泉光(書評)

【10月30日 記】 奥泉光を読むのは、調べてみると、『虫樹音楽集』と『東京自叙伝』に次いで3作目なのだが、それがどんな小説であったか例によって記憶がない。でも、この作家は面白いという記憶だけははっきりあって、また読んでみたくなった。

しかし、それにしても随分待たされた。何故なら僕は、今はもう電子書籍しか読まないからで、紙の本が出てから電子化するまでどれくらい待たされるかはその本によるのだが、この本には随分待たされた。

Amazon かどこかで本の紹介文をちらっと読んで、これが 2.26事件のころの話だということは知っていた。でも、結局それ以外の知識はほとんど得ずに読み始めて、それが良かった。

これは果たして典型的な時代小説なのか、単にこの時代を材にとった創作ものなのか、戦争小説なのか犯罪小説なのか、あるいは真犯人探しが中心となる推理ものなのか、それとも超自然的な力を扱ったミステリなのか、あるいは恋愛ものなんてこともあるのか…。

読んでいてどちらに進むのか皆目見当がつかないのである。

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Thursday, September 05, 2019

『違和感のススメ』松尾貴史(書評)

【9月5日 記】 松尾貴史氏に実際にお目にかかったことはないが、もう何年も twitter でフォローしている。何故だか知らないが、松尾氏も僕をフォローしてくれている。

それで彼の考え方・感じ方は十全に承知しているつもりなので、この本は別に読まなくても良いかなと思ったりもしたのだが、結局はその絶妙なタイトルに惹かれて読んでしまった(笑)

しかし、時々あることなのだが、読み始めてしばらく、あまり面白くない。「えっ、なーるほど、そう来たかっ!」というようなことが何一つ書かれていないのである。書かれているのは普段僕が考えたり感じたりしていることとあまりにも共通している。

だから、別段面白くない。痛快でもない。彼の書いていること自体に違和感なんかほとんどない。

でも、考えてみれば、それは僕が松尾貴史と同じような発想をし、同じような思想を抱いているということで、つまりそれは、僕がもし公の場で松尾貴史と同じように好きなことを喋ったり書いたりすると、僕も彼と同じように「反日」と言われ吊るし上げられるということだ。

今はそういう世の中になってしまったのである。そして、そういう環境があるからこそ、この人は違和感をぶちまけているのである。偉い人である。

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Tuesday, August 27, 2019

『夢見る帝国図書館』中島京子(書評)

【8月27日 記】 映画『長いお別れ』は観たが、それは監督が中野量太だったからで、そもそもそういうテーマは僕の好きな話ではない。映画『小さいおうち』は観なかった。評判の高い映画だったし、邦画好きな僕ではあるが、残念ながら全く観る気が興らなかった。

だから、もし最初に僕がこの2本の映画の原作者として中島京子の名前を認識したなら、この本は読まなかっただろう。

幸いにして彼女の名前は僕の記憶にはなく、何の予備知識もないまま、ある日シミルボンで風信子さんによる書評を読んだ。すると、風信子さんの筆致によるところも大きかったのだが、これが何とも言えず面白そうで、僕はこの本を読まずにいられなくなったのである。

表題と同じタイトルの作中作が何章にも分けて本編内に登場する。帝国図書館だから、明治の初めから第二次大戦ぐらいまでの話だ。だが、その図書館が夢見るのである。──どんな夢を?

いや、夢見る帝国図書館は夢見るだけではない。図書館に通う婦女子に恋するような思いさえ抱いたりする。

その作中作の外側のストーリーは、職業作家として漸く一本立ちし始めた「わたし」が、ある日上野公園で喜和子さんという、一風変わっていて、気風が良くて、幾分わがままで、人懐っこい老婦人と知り合うところから始まる。

2人の奇妙な交際の日常を読み進むうちに、この『夢見る帝国図書館』は喜和子さんが書こうとしてた小説だと判明する。でも、喜和子さんは書こうとは思ったものの、自分には書けそうもないので、作家の「わたし」に書いてくれと言う。

読者はそんな話を追いながら、ところどころに出てきて自分が今読まされている『夢見る帝国図書館』が、果たして喜和子さんが書いた初稿なのか、喜和子さんの願いを容れて「わたし」が完成したものなのかが分からない。

そして、2つの話は交互に進むがいつまでも交わることがない。

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Wednesday, August 14, 2019

セックス小説の本流(いや、奔流?)

(このコラムは、シミルボンが白石一文の『火口のふたり』の映画化/公開に合わせて、「カラダの欲望、ワタシの本音」というテーマで募集した企画に応じて書いたもののコピーですが、元々は私がここのブログと並行して運営していたホームページに、2012年5月に書いて掲載していた文章に少し手を入れたものです)

【8月13日 記】 このお題に触発されて「セックス小説」というものを取り上げてみたいと思う(そういうジャンルがあるのかどうか知らないが)。

絵画の場合は昔から裸婦を描く伝統があるからそうでもないのだろうけれど、例えば写真に裸の女性を撮ったりすると、すぐにそれはエロだと言われる。小説も似たりよったりでセックスを描いた途端にポルノだと言われる恐れがある。

もちろん芸術とエロの間に、「ここまでは韓国、ここを越えたら北朝鮮」みたいな明確な境界線があるわけがない。

性欲は人間の基本欲求のひとつだから、それを描くのは文学や芸術の必然である。しかし、それがエロやポルノだと言って排斥されるのかされないのかは発表してみないと分からないのである。そういう意味で、カラダの欲望や本音を描く際には少し覚悟が必要になる。

「セックス小説」というのは物語の中にセックスが出てくる小説、ということではない(そんなものは山ほどある)。セックスの占める割合が多い小説ということでもない。「官能小説」というのとも違う気がする。

なんと言うか、セックスそのものを描いた小説のことである。官能小説というのは、多分それを読んだ人を興奮させることが目的なのだろうが、そうではなくて(別にそうであっても構いはしないが)、セックスを描くこと自体が目的の小説のことである。

セックスを描くと言うと、例えば大御所の作家だと、山田詠美や村上龍などの名前が思い浮かぶ人もいるかもしれないが、彼らの作品はセックス小説と呼ぶには広すぎる。もっと直接セックスを描くことに専心している感じの小説のことを取り上げたいのである。 

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Tuesday, July 23, 2019

『そして、バトンは渡された』瀬尾まいこ(書評)

【7月23日 記】 2019年の本屋大賞受賞作である。僕にとっては『幸福な食卓』以来14年ぶり(その間に映画になった『僕らのごはんは明日で待ってる』は観たけれど)の瀬尾まいこ。

幼い頃に母親を亡くし、いろんなことがあって血の繋がらない親たちの間を、まるでバトンを渡すようにリレーされ、その間に苗字は4回変わり、結局人生トータルで父親が3人、母親が2人いる優子の小学生時代から大人になるまでの話。

この話のミソは、そんな逆境に耐えて、それでも明るく健気に乗り切った、という主人公を描いているのではなく、どんな環境でも常にあっけらかんとして、ちっとも不幸ではなかった優子を描いているところである。

この本を読むと「こんなことは絵空事である」というようなことを言う人がきっといると思う。ここに出てくる人たちは、優子も含めて、親たちもクラスメートもあまりに良い人たちだ。こんな風に周りの人たちに恵まれるなんてことは現実にあることではない、などと。

いや、本もろくに読まず紹介文を読んだだけで腹を立てる人もいるだろう。それはあるいは、優子ほどではないにしろ、優子と似たような境遇にあった人なのかもしれない。

でも、多分瀬尾まいこが書きたかったのはそこではないのだ。

つまり、著者は「こんなに親が何人も変わるような境遇でも気持ちの持ち方次第でこんなに幸せになれる」と主張したかったのではないのだ。

多分彼女はただ、こんな境遇にあっても幸せに生きている優子を描きたかった、いや、もっとストレートだ。環境は単に物語を転がすための設定でしかなく、ただひたすら素直にくよくよせず前向きに幸せに生きている優子を描きたかっただけなのだと僕は思う。

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Tuesday, June 25, 2019

『炎上論』茂木健一郎(書評)

【6月25日 記】 本筋とは違うところでちょっと驚いたのは、この本は目次こそあれ、本全体についての「まえがき」もないし、各章の文章も導入めいた書き出しがなくいきなり本論が書いてあるということ。

もはやこういう書き方をしないと、昨今の読者は読んでくれないのだろうか? あるいは、これが茂木健一郎自身が良いと思っている茂木健一郎の書き方なんだろうか?

本たるものは目次があって、まえがきがあって、各章はゆっくりと書き出して次第に核心に迫って行くものであるべきである、などと断罪するつもりはない。

ただ、僕自身は読者として、そういう風に静かに段々と引きずり込まれて行く過程を大変楽しく思うので、ちょっと勝手が違って肩透かしにあったような気分なのだ。

茂木健一郎という人は、いろんな固定観念に囚われずに自由にものを考えられる人だと思う。でも、こういう書き方をされると、この人もある程度何かの型に嵌っているのかもしれないと思ってしまう(もちろん、僕は茂木とは逆の型に嵌っているわけだが)。

ライターの織田孝一との対談部分では、茂木は一方で「世代で分けるつもりはないけど」などと言っておきながら、別のところでポロッと「いやいや、ドイツはダメでしょう。マインドセットとしては、かなり古いですからね」などと一括りにしてしまう。

いろんなものにどれほど囚われずに考えようとしても、人はどうしてもどこかの地面に足を奪われてしまうことがあるのだ。

いや、だから茂木健一郎はダメだ、とか、茂木健一郎だって所詮我々と同じレベルでしかない、とか、そんなことを僕は言おうとしているのではない。この本はそういうことに気づかせてくれる本だということが言いたいのである。

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