Saturday, September 21, 2019

映画『アイネクライネナハトムジーク』

【9月21日 記】 映画『アイネクライネナハトムジーク』を観てきた。

伊坂幸太郎の小説が原作だが、これは斉藤和義が伊坂幸太郎に作詞のオファーをした際に、詞は書けないけど小説ならと応じた伊坂の短編に、斉藤が今度は歌を作って返し、それを受けてまた伊坂が小説を返すというような形でできた短編集なのだそうだ。

そして、映画化に当たって伊坂が指名したのが今泉力哉監督。音楽は当然斉藤和義である。今泉は自分で脚本を書く人だが、この本に限っては、これまで中村義洋監督と一緒に『アヒルと鴨のコインロッカー』や『ゴールデンスランバー』などの伊坂作品を映画化してきた鈴木謙一に任せた。

登場人物が入り組んで、一体誰が主役でどれがメインのストーリーなのか分からなくなるような展開が続くのが序盤である。

一応主人公は佐藤(三浦春馬)である。彼のクラスメートだった一真(矢本悠馬)と由美(森絵梨佳)は学生結婚して早くも子供がふたりいる。佐藤はいつまでたっても「出会いがなくて」彼女ができない。

そんな不甲斐ない佐藤は、一真によくダメ出しされているばかりか、一真の幼い娘にも「佐藤」と呼び捨てにされている。

一方で、美容師の美奈子(貫地谷しほり)。こちらも出会いのない美奈子に対して、美容室の常連客の香澄(MEGUMI)が「うちの弟なんかどう?」と言い出す。ある日、香澄に騙されて本当にその弟が電話してきたのをきっかけに、ふたりは時々電話し合う仲になるが、いつまでも電話だけの関係である。

そこに加えて佐藤の職場で隣りに座っている先輩の藤間(原田泰造)の話。ある日突然奥さんが子供を連れていなくなったとのこと。藤間は心を病んでしばらく会社を休んでしまう。

そして、日本人ボクサーが初の世界ヘビー級王座に挑戦した日に、路上でアンケートを取っていた佐藤が紗季(多部未華子)と出逢う。紗季の手の甲にはボールペンで書いた「シャンプー」の文字。

と、ここまで読んで何がどう繋がるのか分からないだろうが、少し進んだかと思うと、話は突然10年飛んでしまう。一真の娘・美緒(恒松祐里)はもう高校生だ。そして、同級生の久留米(萩原利久)の存在。

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Thursday, September 05, 2019

『違和感のススメ』松尾貴史(書評)

【9月5日 記】 松尾貴史氏に実際にお目にかかったことはないが、もう何年も twitter でフォローしている。何故だか知らないが、松尾氏も僕をフォローしてくれている。

それで彼の考え方・感じ方は十全に承知しているつもりなので、この本は別に読まなくても良いかなと思ったりもしたのだが、結局はその絶妙なタイトルに惹かれて読んでしまった(笑)

しかし、時々あることなのだが、読み始めてしばらく、あまり面白くない。「えっ、なーるほど、そう来たかっ!」というようなことが何一つ書かれていないのである。書かれているのは普段僕が考えたり感じたりしていることとあまりにも共通している。

だから、別段面白くない。痛快でもない。彼の書いていること自体に違和感なんかほとんどない。

でも、考えてみれば、それは僕が松尾貴史と同じような発想をし、同じような思想を抱いているということで、つまりそれは、僕がもし公の場で松尾貴史と同じように好きなことを喋ったり書いたりすると、僕も彼と同じように「反日」と言われ吊るし上げられるということだ。

今はそういう世の中になってしまったのである。そして、そういう環境があるからこそ、この人は違和感をぶちまけているのである。偉い人である。

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Tuesday, August 27, 2019

『夢見る帝国図書館』中島京子(書評)

【8月27日 記】 映画『長いお別れ』は観たが、それは監督が中野量太だったからで、そもそもそういうテーマは僕の好きな話ではない。映画『小さいおうち』は観なかった。評判の高い映画だったし、邦画好きな僕ではあるが、残念ながら全く観る気が興らなかった。

だから、もし最初に僕がこの2本の映画の原作者として中島京子の名前を認識したなら、この本は読まなかっただろう。

幸いにして彼女の名前は僕の記憶にはなく、何の予備知識もないまま、ある日シミルボンで風信子さんによる書評を読んだ。すると、風信子さんの筆致によるところも大きかったのだが、これが何とも言えず面白そうで、僕はこの本を読まずにいられなくなったのである。

表題と同じタイトルの作中作が何章にも分けて本編内に登場する。帝国図書館だから、明治の初めから第二次大戦ぐらいまでの話だ。だが、その図書館が夢見るのである。──どんな夢を?

いや、夢見る帝国図書館は夢見るだけではない。図書館に通う婦女子に恋するような思いさえ抱いたりする。

その作中作の外側のストーリーは、職業作家として漸く一本立ちし始めた「わたし」が、ある日上野公園で喜和子さんという、一風変わっていて、気風が良くて、幾分わがままで、人懐っこい老婦人と知り合うところから始まる。

2人の奇妙な交際の日常を読み進むうちに、この『夢見る帝国図書館』は喜和子さんが書こうとしてた小説だと判明する。でも、喜和子さんは書こうとは思ったものの、自分には書けそうもないので、作家の「わたし」に書いてくれと言う。

読者はそんな話を追いながら、ところどころに出てきて自分が今読まされている『夢見る帝国図書館』が、果たして喜和子さんが書いた初稿なのか、喜和子さんの願いを容れて「わたし」が完成したものなのかが分からない。

そして、2つの話は交互に進むがいつまでも交わることがない。

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Wednesday, August 14, 2019

セックス小説の本流(いや、奔流?)

(このコラムは、シミルボンが白石一文の『火口のふたり』の映画化/公開に合わせて、「カラダの欲望、ワタシの本音」というテーマで募集した企画に応じて書いたもののコピーですが、元々は私がここのブログと並行して運営していたホームページに、2012年5月に書いて掲載していた文章に少し手を入れたものです)

【8月13日 記】 このお題に触発されて「セックス小説」というものを取り上げてみたいと思う(そういうジャンルがあるのかどうか知らないが)。

絵画の場合は昔から裸婦を描く伝統があるからそうでもないのだろうけれど、例えば写真に裸の女性を撮ったりすると、すぐにそれはエロだと言われる。小説も似たりよったりでセックスを描いた途端にポルノだと言われる恐れがある。

もちろん芸術とエロの間に、「ここまでは韓国、ここを越えたら北朝鮮」みたいな明確な境界線があるわけがない。

性欲は人間の基本欲求のひとつだから、それを描くのは文学や芸術の必然である。しかし、それがエロやポルノだと言って排斥されるのかされないのかは発表してみないと分からないのである。そういう意味で、カラダの欲望や本音を描く際には少し覚悟が必要になる。

「セックス小説」というのは物語の中にセックスが出てくる小説、ということではない(そんなものは山ほどある)。セックスの占める割合が多い小説ということでもない。「官能小説」というのとも違う気がする。

なんと言うか、セックスそのものを描いた小説のことである。官能小説というのは、多分それを読んだ人を興奮させることが目的なのだろうが、そうではなくて(別にそうであっても構いはしないが)、セックスを描くこと自体が目的の小説のことである。

セックスを描くと言うと、例えば大御所の作家だと、山田詠美や村上龍などの名前が思い浮かぶ人もいるかもしれないが、彼らの作品はセックス小説と呼ぶには広すぎる。もっと直接セックスを描くことに専心している感じの小説のことを取り上げたいのである。 

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Tuesday, July 23, 2019

『そして、バトンは渡された』瀬尾まいこ(書評)

【7月23日 記】 2019年の本屋大賞受賞作である。僕にとっては『幸福な食卓』以来14年ぶり(その間に映画になった『僕らのごはんは明日で待ってる』は観たけれど)の瀬尾まいこ。

幼い頃に母親を亡くし、いろんなことがあって血の繋がらない親たちの間を、まるでバトンを渡すようにリレーされ、その間に苗字は4回変わり、結局人生トータルで父親が3人、母親が2人いる優子の小学生時代から大人になるまでの話。

この話のミソは、そんな逆境に耐えて、それでも明るく健気に乗り切った、という主人公を描いているのではなく、どんな環境でも常にあっけらかんとして、ちっとも不幸ではなかった優子を描いているところである。

この本を読むと「こんなことは絵空事である」というようなことを言う人がきっといると思う。ここに出てくる人たちは、優子も含めて、親たちもクラスメートもあまりに良い人たちだ。こんな風に周りの人たちに恵まれるなんてことは現実にあることではない、などと。

いや、本もろくに読まず紹介文を読んだだけで腹を立てる人もいるだろう。それはあるいは、優子ほどではないにしろ、優子と似たような境遇にあった人なのかもしれない。

でも、多分瀬尾まいこが書きたかったのはそこではないのだ。

つまり、著者は「こんなに親が何人も変わるような境遇でも気持ちの持ち方次第でこんなに幸せになれる」と主張したかったのではないのだ。

多分彼女はただ、こんな境遇にあっても幸せに生きている優子を描きたかった、いや、もっとストレートだ。環境は単に物語を転がすための設定でしかなく、ただひたすら素直にくよくよせず前向きに幸せに生きている優子を描きたかっただけなのだと僕は思う。

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Tuesday, June 25, 2019

『炎上論』茂木健一郎(書評)

【6月25日 記】 本筋とは違うところでちょっと驚いたのは、この本は目次こそあれ、本全体についての「まえがき」もないし、各章の文章も導入めいた書き出しがなくいきなり本論が書いてあるということ。

もはやこういう書き方をしないと、昨今の読者は読んでくれないのだろうか? あるいは、これが茂木健一郎自身が良いと思っている茂木健一郎の書き方なんだろうか?

本たるものは目次があって、まえがきがあって、各章はゆっくりと書き出して次第に核心に迫って行くものであるべきである、などと断罪するつもりはない。

ただ、僕自身は読者として、そういう風に静かに段々と引きずり込まれて行く過程を大変楽しく思うので、ちょっと勝手が違って肩透かしにあったような気分なのだ。

茂木健一郎という人は、いろんな固定観念に囚われずに自由にものを考えられる人だと思う。でも、こういう書き方をされると、この人もある程度何かの型に嵌っているのかもしれないと思ってしまう(もちろん、僕は茂木とは逆の型に嵌っているわけだが)。

ライターの織田孝一との対談部分では、茂木は一方で「世代で分けるつもりはないけど」などと言っておきながら、別のところでポロッと「いやいや、ドイツはダメでしょう。マインドセットとしては、かなり古いですからね」などと一括りにしてしまう。

いろんなものにどれほど囚われずに考えようとしても、人はどうしてもどこかの地面に足を奪われてしまうことがあるのだ。

いや、だから茂木健一郎はダメだ、とか、茂木健一郎だって所詮我々と同じレベルでしかない、とか、そんなことを僕は言おうとしているのではない。この本はそういうことに気づかせてくれる本だということが言いたいのである。

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Thursday, June 20, 2019

『ニムロッド』上田岳弘(書評)

【6月20日 記】 不思議な小説を読んだ。

主人公の名前はカナ書きするとナカモトサトシ──ビットコインの考案者とされる謎の人物と同姓同名だ。事実この小説は、主人公が社長の気紛れからビットコインの採掘に従事させられるところから物語がはじまる。

でも、この小説は、ナカモトサトシと聞いてピンとくるような、そんな IT好きの読者を想定したものではない。

説明がやたら丁寧、と言うか、主人公はホスティングとハウジングの会社に務めるまでサーバーという言葉を知らなかったなどと、とても知識レベルが低い、というか、ありえない設定である。そうまでして最初に「サーバー」という用語を説明する必要があるのか?

「NAVER まとめというサイト」みたいな記述が出てくるところも引っかかる。なんでわざわざ「というサイト」と書く?

これらをどうして登場人物の台詞としたのだろう? IT の会社に務める中本たちは当然知っているものとして、地の文で説明すれば良いではないか?

それをしないのは、とりあえずこの設定は単に借りてきた設定であって、何も必然的な設定ではなく、そのことによって読者を逃したくない、ということなのか? うん、確かにこの、最初から宙に浮いたような雰囲気を醸し出すには有効な道具立てであったのかもしれない。

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Saturday, June 08, 2019

映画『町田くんの世界』

【6月8日 記】 映画『町田くんの世界』を観てきた。

原作漫画があるらしいが、これは見事に石井裕也監督らしい、石井裕也らしさが溢れかえる映画だ。一昨年キネ旬1位に輝いた『夜空はいつでも最高密度の青色だ』よりも僕はこの映画が好きだ。

その遊び心やケレン味は『川の底からこんにちは』に戻った感がある。あるいは『舟を編む』のときの感じ。

いや、もっと言うと、“ニュアンス映画”と銘打たれた『の・ようなもの』を撮ったころ(つまりデビュー当時)の森田芳光の感じ。あるいはもうちょっと後の『家族ゲーム』や『間宮兄弟』みたいな、ニュアンスたっぷりな映画。

主人公の町田くん(細田佳央太 =ほそだかなた)は高校生。メガネを掛けた地味な少年。走るのはめちゃくちゃ遅く、信じられないくらい勉強ができない。でも、人が大好きで、自分のことはそっちのけで周囲の人たちを思いやる。「キリスト」とか「全人類が兄弟だと思っている」などと言われている。

その町田くんとたまたま保健室で鉢合わせした猪原さん(関水渚)はそんな変人の町田くんに、自分でも何故だかわからないけれどどんどん惹かれていく。町田くん自身は恋がどんなものか知らず、猪原さんに対しても他のクラスメートに対しても的外れな対応をしていたが、ある日そんな町田くんにも猪原さんに対する“わからない感情”が芽生えてくる。

善意を描いた、とても良い話である。説教臭くも薬臭くもなく、それどころか町田くんの素っ頓狂な態度に、映画館内のあちこちから笑いが漏れる。声を上げたり拍手をしたりしながら笑っている人もいる。

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Thursday, June 06, 2019

『文系でもよくわかる 世界の仕組みを物理学で知る』松原隆彦(書評)

【6月6日 記】 読んで愕然とした。僕が中高で習った化学や物理学の知識の一部は今では全然通用しないのだと知ったから。

分子は原子からできており、原子の中には原子核と電子があり、原子核は陽子と中性子に分解されるが、もうそれ以上細かく分割することはできない、と確か習った。

ところが、今ではそれらの粒はクォークと呼ばれるさらに小さい粒に分解できることが判っているのだそうな。アップクォーク2つとダウンクォーク1つで陽子、アップクォーク1つとダウンクォーク2つで中性子になるとのこと。全ての物質はクォークと電子でできているとのこと。

──何それ!? いつからそんなもんあるんですか!? 誰も教えてくれなかったよ。

それから、原子の中で、原子核の周りを電子がクルクル回っていると確か教わったけど、それも今では違うと考えられているとのこと。

──え? そうなんですか!? 教科書や参考書で何度も目にしたあの図解は間違い?

昔の人は地球が丸いことも地球が太陽の周りを回っていることも知らなかったんだよな、と他人事みたいに言ってたけど、それってまるで今の僕のことじゃないですか!

でも、落ち着いて考えると、結局のところ、「ああ、良かった。この本を読んで」というのがまことに素直な感想。

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Wednesday, May 29, 2019

『インヴィジブル』ポール・オースター(書評)

【5月29日 記】 2009年の作品だが、邦訳としてはこれが最新刊となるオースターの長編。僕もそのほとんどを読んでいるが、もう何冊目なのか定かでない。

読み始めるとすぐにそれはオースターである。もうどこから見てもオースターでしかない。

オースターが書いているんだからそりゃオースターでしょ、とオースターを読んだことのない人なら言うかもしれないが、すでに何冊か読んでしまっている読者にとっては、これは全くオースターでしかない、「オースターでしかない」としか形容できない小説世界なのだ。

ストーリーはゆっくりと動くようでありながら、いつの間にか僕らは何だかざわざわした気分になり、気がついたら宙吊りにされている。でも、宙吊りで固定されているのではなく、どこか予想できない方向に強い力で静かに引っ張られている。

そう、サスペンスである。サスペンスという言葉はそのまますっかり日本語になってしまっているが、基本的に意味するところは「宙吊りにされた状態」である。

そして、タイトルのとおりインヴィジブル。見えないのである。

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