Thursday, April 04, 2019

『ハロー・ワールド』藤井太洋(書評)

【4月4日 記】 僕にとっては全然知らない作家の全然知らない作品だったのだが、シミルボンの書評が目に入って、それがとても面白そうだったので読んでみることにしたら、これがまた期待以上に面白くてぶっ飛んでしまった。

ものすごく乱暴にカテゴライズしてしまうと、これは IT小説ということになるんだろうか? しかし、IT小説というネーミングから思い浮かべるのは、単に IT の専門知識を設定やストーリーに巧く組み込んだ小説である。

ところが、この小説の場合はそれだけではない。いや、むしろ面白いのはそこではないのだ。登場人物が誰も彼もとても魅力的なのだ。

主人公の文椎(ふづい)はバリバリのエンジニアではない。彼自身の表現を借りると、

そもそも僕に専門的な知識はない。ちょっとしたプログラミングとチームの管理、それにプロモーションや文書書きなどもやる何でも屋だ。

ということになる。ただし、彼は企業に属して(一応属してはいるのだが)与えられた仕事を淡々とやる人間ではない。会社の中では何でも屋として世界中を飛び回りながら、自身の人的ネットワークを通じていろんなことに手を出す。

そして、何よりも彼は正義感が強い。いや、反骨精神があると言ったほうが良いか。権力者が弱者の権利を奪って好き勝手するのを黙って見ていられない。そういうわけで彼は日本でも外国でも、意図せずにいろんな国の当局を敵に回してしまい、とんでもない厄介事に巻き込まれる。

それに対して彼は命がけで立ち向かう、わけではない。彼はそんなタフ・ガイ・タイプではないのである。自分の弱さは充分知っている。死ぬぐらいなら志は捨てる。しかし、彼の面白いところは、そこでただ黙ってすごすごと引き下がるのではなく、ほんのちょっとでも良いから“一泡吹かせてやろう”とするところである。

そこが読者にとって痛快なのである。

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Wednesday, April 03, 2019

『ブロックチェーン』岡嶋裕史(書評)

【4月3日 記】 昨今注目度が高まっているネット上の新技術“ブロックチェーン”の解説書なのだが、あまりに解りやすくて驚いた。前に読んだブロックチェーンの本を棄てたくなったくらいだ。

いや、解りやすいと言っても、モノがモノだけに、幼児向けの絵本を読むように頭に入ってくるものではなく、少なくとも高校の教科書よりは難しいと考えておいたほうが良いだろう。でも、その難しい概念を極力分かりやすくとっつきやすい方法で解説してあるのは確かである。

僕なりにこの本の長所を並べると、

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Wednesday, March 13, 2019

『デジタルネイチャー: 生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂』落合陽一(書評)

【3月13日 記】 落合陽一の出演するイベントには何度か行った。でも、彼が書いたものを書籍という形で読むのは『超AI時代の生存戦略』以来まだ2冊目である。しかし、なんであれ今回も面白い。どういう面白さなのかと言うと、圧倒的にスリリングな面白さである。

それは僕らがものを考えたりまとめたりする上で前提となる基本的な認識だと思っていることを悉く覆してくれるからだ。いや、覆すとかひっくり返すとか、そんな感じじゃない。それが決して前提でも基本的認識でもないということが落合陽一には初めからきっと見えているのだと思う。だから初めからそういうこだわりがない。

デジタルネイチャーという造語を「計算機自然」という、形容矛盾を内包する日本語に逆翻訳する辺りが如何にも小憎らしい。

でも、本当にこんな風に機械と自然が融合してしまう時代が来るんだろうか? 人が自分の興味のある情報しか仕入れなくなってどんどんオタク化してくる一方で、自分の興味のない分野のことは AI がネット上に記憶していてくれるからそれで大丈夫なのだという楽観論は本当に大丈夫なんだろうか?

そういう意味で今回のこの本もやっぱりやや危ない匂いはする。でも、その不安の衣を1枚ずつひっぺがすみたいに、落合の論考は続く。

この本の副題を見よ。なんだろう、このミケランジェロ的な学際的知性の膨大な広がりは。第2章の表題の通り、人間機械論とユビキタスと東洋的なものがごちゃまぜに、しかし有機的にひとつになっている。

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Tuesday, March 05, 2019

『クリエイターのための権利の本』大串肇、北村崇、木村剛大、古賀海人、齋木弘樹、角田綾佳、染谷昌利(書評)

【3月5日 記】 クリエイターのための権利の本である。「著作権トラブル解決のバイブル!」という副題がついている。

バイブルという表現は大げさだ、と言うか、この本のイメージはバイブルというような聖なるものではなくて、どっちかと言うとぴったり来る表現は「アンチョコ」である。

表紙にもこんな説明文が載っている:

現場でトラブルになりがちな権利の問題について
✓クリエイターとしてやってはいけないこと
✓権利を侵害されたときの具体的な対処法
をわかりやすくまとめたクリエイターのバイブル

って、またバイブルと書いてあるが、むしろバイブルや学術書にありがちな概念的な、あるいは理念的な記述を避けて、どこまでも具体例に沿って書いてあるから分かりやすい。

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Wednesday, February 27, 2019

『爆発的ヒットは“想い”から生まれる』境治(書評)

【2月27日 記】 タイトルが非常に明快に本の内容をまとめている。ただし、これはマニュアル本でもノウハウ本でもないので、その点はご注意。

僕は著者の境治さんとは面識があるだけではなく、境さんが主催している「ミライテレビ推進会議」のメンバーであることもあり、また関心領域も近いので、その会議だけではなく月に1~2回はいろんなところでリアルに顔を合わせているし、ネット上まで含めるとほぼ毎日何らかの接触があると言える。

だから、もう何年にもわたって、境さんの話をセミナーで聴いたり、ネット上の様々なサイトで読んだり、時には直接会って意見や情報を交換したりしているので、実はこの本に書いてあることで初めて見聞きしたことはほとんど、いや、全くないと言い切っても過言ではない。

でも、この本の秀逸なところは、境さんがいろんなところで書いたり言ったりしてきたことが網羅的に収められているということではなく、それらが本当に見事なぐらい有機的に繋がっているということだ。

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Tuesday, January 08, 2019

『陰翳礼讃』谷崎潤一郎(書評)

【1月8日 記】 谷崎の『陰翳礼讃』が面白いという話は折に触れて聞いていた。だが、何となく手を出しそびれて読まないままになっていた。僕がとにかく時間があればます現代文学を読みたいということもある。

でも、少し気になっているから、いろんなところで目に触れたり小耳に挟んだりする。例えば、関西にいた頃によく行った有馬温泉の陶泉御所坊という老舗旅館の、仄暗い廊下に置かれた本棚に並んでいたりする。

結局、何がきっかけになったというわけでもなく、僕はこの本を電子書籍で手に入れて Kindle で読んだ。読み始めるまで、この本が小説なのか戯曲なのか評論なのかそれとも随筆なのか、そんな予備知識さえなかった。

読み始めると、これが面白い。東洋と西洋の、主に照明に焦点を絞った比較文化論である。

建築や照明から世の東西を較べ、そこに暮らす人の内面を語るというのは却々知的な試みである。谷崎は日本家屋の日常の中に、普段我々が気づきもしない特徴を見出している。

日本の屋根を傘とすれば、西洋のそれは帽子でしかない。

などと、比喩がいちいち面白い。いや、気候風土や人種の違いだけではなく、谷崎の発想は写真や音楽にまで拡張されて行く。

そこでわれわれは、機械に迎合するように、却ってわれわれの藝術自体を歪めて行く。

とまで言っている。

美と云うものは常に生活の実際から発達するもので、暗い部屋に住むことを余儀なくされたわれわれの先祖は、いつしか陰翳のうちに美を発見し、やがては美の目的に沿うように陰翳を利用するに至った。

と明快に論旨は深められて行く。

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Friday, January 04, 2019

『不死鳥少年 アンディ・タケシの東京大空襲』石田衣良(書評)

【1月4日 記】 何度か本屋で手に取ったものの、結局一度も読まないまま年月を経てしまった作家がいる。僕にとって石田衣良はそういう作家の一人だった。

前から興味はあったので、今回、シミルボンと NetGalley の合同企画に応募して発売前に読ませてもらうことにした。こういう企画は非常にありがたい。

さて、タイトルもちゃんと確かめずにダウンロードした電子書籍を開いてみると、予想に反してそこにあったのは、池袋西口公園を舞台とする若者たちの話でも、月島辺りの4人の少年たちの連作短編でもなく、なんと第二次大戦下の東京下町の物語だった。

僕は著者とほぼ同じ年代だが、僕らの世代にとってこの時代というのは少し微妙である。

これが遠い江戸時代や戦国時代の小説であれば、読んでいてそれほど引っかかることはないだろう(もちろん、登場人物があまりに現代的な考え方をしているような場合は別だが)。だが、この時代については、僕らは祖父母や両親、そして学校の先生たちからも、実体験としてのいろいろな話を聞いてしまっている。

それだけに読んでいてあちこちで「本当にこんな感じだったんだろうか?」、「この時代にそういうものはなかったのではないか」、「そういう言葉遣いは戦後どころか、昭和の終わり頃に生まれたものではないか」などといろいろなことが気になってしまう。

ひとことで言ってしまうと、戦中派の作家が書いたものより、どことなく嘘っぽいのである。これは必ずしも石田の書いていることに真実と相違することが含まれているからではない。石田が「もはや戦後は終わった」と言われるようになってから生まれた世代であるからなのだ。

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