Thursday, May 18, 2017

『ヒットの崩壊』柴那典(書評)

【5月18日特記】 Amazon の紹介文には激変する音楽業界の潮流を明らかにする本だとある。

僕はこの手の本を読んでいるほうだと思うが、割合厳選して読んでいるつもりなので、そんなに外れたことはない。この本もなかなか面白かった。

まず良いのは、楽曲や歌詞の分析という面ではそれほど深く掘り下げてはいないが、決して手付かずではなく、時代の傾向としてちゃんと押さえていること。音楽に関する本が音楽を語らずマーケティングばかりになってしまうほどつまらないことはない。著者はそのことをよく知っている。

その上で、著者個人の趣味や印象だけで語ることのないよう、数値的な面での検証を重ね、そして定性的な分析として、数多くのミュージシャン(小室哲哉やいきものがかりの水野良樹ら)や各界で音楽に携わる様々な関係者のインタビューを実施し、そこから見えてくるものをしっかりと再構築できている。

日本のロックやポップスに興味と関心を抱いてきた者でもめったに知らないような新奇なエピソードやデータも示してくれている。時代を追ってその時どきの歌手やヒット曲や番組、イベントなどの構造を分かりやすく紐解いてくれる。その例は極めて豊富で、かつ適切である。

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Saturday, April 29, 2017

『騎士団長殺し』村上春樹(書評)

【4月28日特記】 端的に言うと、僕も村上春樹を読みすぎているのかもしれない。今回のこの作品にはどこか既視感がある。どこかで読んだようなシーン、どこかで読んだような表現がずっと続いているような感がある。

実は村上春樹の熱烈なファンが彼を真似してこれを書いたのだ、と言われると、あ、やっぱりそうだったのか、と思ってしまいそうな小説なのである。つまり、極めて村上春樹的ではあるが、今回に限っては新しさがないような気がした。

それを悪く言うと、村上春樹もどれを読んでも同じような感じになってきたな、ということになるのだが、実のところどの作家にだってそういうところはある。ジョン・アーヴィングなんてその最たるものではないか。作家が熱心に取り組んでいるテーマはどうしても凝縮されてくるのである。

今回の主人公「私」は30代の画家である。突然妻から不可解な離婚を言い渡され、ひとり家を出て車で東北を放浪する。その後、親友の雨宮の厚意で、彼の父親である有名な日本画家・雨宮具彦の家に住まわせてもらう。小田原の山の中の邸宅である。

そして、谷を隔てた向かいの家に住んでいる免色(メンシキ)という金持ちの男が「私」に接近してくる。自分の肖像画を描いてほしいと言う。決して怪しい男ではなく、むしろそこら辺の誰よりも常識家のようにも見えるが、動機がどうも不明である。

そうこうするうち、「私」は、その家の屋根裏で、世間に発表されていない雨宮具彦の作品(仮に『騎士団長殺し』と名付ける)を発見する。そして、不可解な事件の後、その絵から抜け出した騎士団長が「私」を訪れる。彼は自分がイデアであると言う(そして、下巻にはそれと対比してメタファーであると名乗る男も出てくる)。

そう、この辺りから完全にいつものハルキ・ワールドなのである。ただ、『1Q84』のような危機に満ちて禍々しい波乱含みの感じは少し弱い。変な言葉遣いをする騎士団長とのやりとりや、妙な頼みごとをしてくる免色とのエピソードはそれほどの起伏なく進んで行く。

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Thursday, March 30, 2017

『吾輩は猫である』夏目漱石(書評)

【3月28日特記】 朝日新聞電子版の連載で『吾輩は猫である』を読み終えた。ずっと読んできたこの夏目漱石のシリーズも、これで連載終了かと思うと少し名残惜しい。

僕はこの超有名な小説を実は初めて読んだのだが、読んでみて驚いたのはその構成のグダグダ感である。僕がすぐに連想したのは現代の作家である保坂和志。そう、彼の作品と同じく、なんだかウダウダ喋っているだけのような小説なのだ。

タイトルこそ『吾輩は猫である』だが、一貫して猫の一人称で語られているわけではない。時には猫の飼い主である主人や寒月くんや迷亭くん、独仙くんらが延々と明治の文明批評や文化論を語るばかりで、その間猫は不在なのである。

で、その話の逸れ方も通り一遍ではない。これって小説なのか?随筆じゃないの?と言いたくなるような、あっちへ行ったりこっちへ来たりする展開がまさに保坂和志的なのである。

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Tuesday, February 28, 2017

『蜜蜂と遠雷』恩田陸(書評)

【2月28日特記】 直木賞受賞作。僕に言わせれば、「なんだよ、今頃になって」という感じの直木賞。こんなに派手なパフォーマンスを見せてやらないと直木賞の審査員は彼女の実力を見抜けないのだろうか、という思い。

言葉で音楽を表した小説。それはある意味アクロバティックな試みである。恩田のファンであれば、前にもいくつかこんな試みがあったなと思い出すはずである。例えば『チョコレートコスモス』──これは言葉で演技(芝居)を表した小説。誰にでも書けるものではない。

あの小説では行間から演技が見えたように、この小説ではページから音楽が聞こえてくる(もっとも僕が読んだのは電子書籍だったがw)。

この小説は世界的なピアノ・コンクールである芳ヶ江国際ピアノコンクールの一次予選から三次予選と本選までの模様を描いた小説である。

主な登場人物は3人。

天才ピアノ少女ともてはやされていたのに、母親の死をきっかけに演奏会をドタキャンして音楽から離れてしまっていた栄伝亜夜。ジュリアード音楽院の優等生で、後に亜夜の幼馴染だったと判るマサル・C・レヴィ=アナトール。そして、養蜂家の息子で家にピアノさえなく、誰も名前を聞いたこともなかったのに伝説のピアニストの推薦状を携えて現れた風間塵。

そのほかに、サラリーマン生活をしていたのに諦めきれずコンクールにエントリーしてきた30歳手前の高島明石の姿も加わる。

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Thursday, February 09, 2017

知的遊戯

【2月8日特記】 今、朝日新聞デジタルの連載で夏目漱石の『吾輩は猫である』を読んでいるのだが、昨日、一昨日の回がとても面白かった、というか、こういうのは僕以外にも面白いんだろうか、こういうものを面白がる文化はまだあるんだろうか、と気になったので書いてみることにした。

一昨日の「192」では迷亭と独仙が対座して囲碁をしている。まず「賭けないとやらない」という迷亭をたしなめて、独仙が陶淵明の詩句を引いてもっとゆったりしないとダメだと言う。

迷亭は「さすが仙人だ」などとテキトーなことを言いながらハチャメチャな碁を打つ。

そのあと、この2人を見た「吾輩」が、なんで人間は囲碁みたいな窮屈なものをするのだろうと深い感慨を述べるのを挟んで、翌「193」では迷亭と独仙の丁丁発止に戻る。

まずは迷亭が司馬遷の『史記』の「項羽本紀」の有名な鴻門之会の場面を引用しながら勇ましく攻め込んで来る。

それに対して独仙は碁石を「こう継いで置けば大丈夫」と言いながら、「継ぐ」からの連想で、唐の文宗の句に柳公権が継いだ連句を引用する。それを受けて今度は迷亭が「継ぐ」を「撞く」に掛けて「撞いてくりゃるな八幡鐘を」と俗謡で返す。

すると独仙は無学禅師の言葉を引いてさらに切り返す。その手に慌てた迷亭は「待った」をする。独仙が「ずうずうしいぜ、おい」と言うと、迷亭は「Do you see the boy か」と来る。これは読んでいても俄に解らなかったのだが、「ずうずうしいぜ、おい」と「Do you see the boy 」がシャレになっている。

そのあと2人のやりとりは、歌舞伎十八番や禅語まで引きながらさらに続いて行く。なんとも凄まじい知的遊戯ではないか?

で、僕はそれをものすごく面白く思ったのだが、僕以外の読者もおんなじように面白がって読んだのかな、と気になったのである。

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Wednesday, January 18, 2017

『なんでやねんを英語で言えますか? 知らんとヤバいめっちゃ使う50のフレーズ+α』川合亮平(書評)

【1月18日特記】 誰かが twitter で紹介していたのを見て発作的に買ってしまった本。Amazon の内容紹介にはこう書いてある:

「なんでやねん」「あかん」「アホくさ」など、呼吸と等しく使う50の「めっちゃ使うフレーズ」をイラスト&ダイアログで紹介! ドタマからおいどまでオール関西弁の参考書。めっちゃテストに出るで! 知らんけど。

間違って買う人がいたらいけないので初めに書いておくと、これは英会話の本ではない。大阪ネタ満載の謂わば大阪本であり、つまりは実用書の類ではなく、ひたすら面白おかしい読み物なのである。

だから、「私は大阪出身で小さい頃から大阪弁に親しんできたので、この本は丁度良い。これを読んで英会話の勉強をしよう」と思っている人がいたら、まあ確かにそういう勉強法もあるのかもしれんし、そういう勉強法で成果を挙げる人もいるのかもしれんが、僕はちょっと違うような気がする。

学習したいのであれば何もこの本を買うことはない。この本はためになる本ではなくおもろい本なのだから。テストに出ることはないのだ。知らんけど。

ただし、関西弁のネイティブ・スピーカーであれば大いに楽しめるかと言えば、それだけではダメである。この本の本当の面白さは、ある程度英語が解っていて初めて理解できるのである。

僕が学習向きではないと言うのはそういう意味である。

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Tuesday, January 17, 2017

『バベル九朔』万城目学(書評)

【1月17日特記】 正直言ってよく分からなかった。

「よく分からない」にもいろいろあって、「著者が何を意図しているのかさっぱり理解できず全く共感できない」というのもそのうちのひとつだが、今回はそうではなくて、書いてあることがちゃんと理解できなかった、ということだ。

こういう小説を読みつけている人には書いてあることが「ふん、ふん」と頭に入って来るのかもしれないが、僕の場合は終盤にはもう何がどうなっているのか、「さっぱり解らない」というのではなく、「今イチ解らない」のである。

万城目学の本はこれまで『鴨川ホルモー』と『プリンセス・トヨトミ』を読んでおり、両作とも映画も観ているくらいで、ものすごい万城目ファンではないにしても、この世界観は嫌いではない。

でも、今回はあんまり話について行けなかった。

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