Friday, December 02, 2016

『日本人も悩む日本語』加藤重弘(書評)

【12月2日特記】 ホームページのほうにも書いたことなのだが、僕は日本語に関するエッセイを書いているが、では日本語に関する本をよく読むかと言われると必ずしもそうではない。何故なら、端的に言って、読んだら書けなくなってしまうからだ。

自分がすでに知っていたことを読んだ場合、それについて書くと、前から知っていたにも拘らずなんだか盗んだような気分になってしまう。自分が知らなかったことを読んだ場合、それを書くと単なる受け売りになってしまう、というわけだ。

だから、のべつまくなしに読むことはしない。結構厳選して読んでいるつもりである。

で、この本は良かった。書いている人のポリシーがはっきりしている。「この表現は正しい」「この用法は間違っている」などと安易に断定してしまうのではなく、言葉というものが移ろい行くさまを正確に伝えようとしているからだ。

あとがきにはこう書いてある:

日本語においても、受容されて定着した変化は相応の合理性があるものであり、合理性がなければ長期的には淘汰される運命にあると言ってよいだろう。

あるいは第4章にはこんな表現がある:

つまり、「ご苦労さま」を目上に使うと失礼にあたるということはやや単純化し過ぎているのであって、まだ、適切か不適切かの境界線にあると考えたほうがいい。たいていの場合はそれで人間関係をしくじったりしないだろうが、ことばの世界は実はもっと奥深いものである。この複雑さと奥深さを無視せずに、少しでも理解しようとする度量と余裕があったほうがいいと思うのである。

ある意味非常にクールな姿勢であり、逆に、ある表現が正しいのか正しくないのかを安直に知ろうとして読み始めた読者をイライラさせる態度であるのかもしれない。

しかし、言葉とはそんなものなのである。

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Wednesday, October 19, 2016

『大きな鳥にさらわれないよう』川上弘美(書評)

【10月19日特記】 久しぶりに川上弘美の本を読んだ。「著者初の SF小説」という触れ込みに惹かれたのだ。しかし、手に取って読み始めてみると、ここには我々が従来から知っている「SF」の風合いはない。

なんだか分からないが、どちらかと言えば「ファンタジー」ではないか、という気がする。

それはこの小説が、一体どの時代の話で、登場しているのは一体どんな生物で、長い人類の歴史の中でこの物語がどういう位置付けでどんな意味を持たされているかを全く説明せずにいきなり物語が始まるからである。

で、その物語が続くのかと思えば、章が変わると登場人物もストーリーも全く違うものになる。どちらの物語のほうが先なのか、時間的な繋がりもわからない。いや、そもそもそれぞれの話に繋がりなんかないのかもしれないという気もしてくる。

これは単なる連作短編なのか?

でも、そういう書き出しはひとえに我々の固定観念を流し去るための仕掛けであったことが、読み進むうちに分かってくる。登場人物は人物、つまり人間であり、つまり我々と同じように人間らしく動くはずだと考えるのは読者の凝り固まった認識にすぎない。

そうでないとしたら何故そうでないのかがこの小説のキーになる。

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Tuesday, August 16, 2016

『若者離れ』電通若者研究部・編(書評)

【8月16日特記】 軽くて読みやすい本である。とは言っても、誰かが若者を暫く観察して、思いついたことを脈略なく書き綴ったような本ではない。

電通という名前を聞いて、流行を追っかけたチャラチャラしたものを想像する人もいるかもしれないが、電通総研をはじめ、この会社の研究部門はかなり本格的な組織ばかりである。

この本もその例に漏れないもので、電通若者研究部(通称ワカモン)が実際に若者たちと対話をしながらデータを集積し、それを分析した上で、我々おじさん・おばさんが若者たちとちゃんとコミュニケーションを取って豊かな社会を築くための方向性を示してくれる本なのである。

ひとことで乱暴に言ってしまうと、本のタイトルになっているように、今世間ではしきりに「若者の○○離れ」が指摘されているが、それは非常に浅く一方的な物の見方なのであって、実は世の中のほうが「若者離れ」をしてしまっているのではないか、というのが主旨である。

この本は第1章の第1節を人口ピラミッドの形状変化から書き起こしており、こういう手法を見ても、若者を俯瞰的に見ているのがよく解る。そして、次の節は「だからこそ、まずは『対話』から」というタイトルになっており、ここまで読んだだけで、著者たちがどんな態度でこの問題に対応しているかが如実に見えてくる。

そして、図解をふんだんに入れ、各章の終わりには「まとめ」があって、非常に解りやすい。

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Wednesday, August 03, 2016

『羊と鋼の森』宮下奈都(書評)

【8月3日特記】 他に読む本が溜まっていたこともあるが、買うか買わないか、読むか読まないか、随分迷った本である。結局 kindle に落として読んだのだが、読み始めてすぐに、もっと早く読めば良かったと思った。

とても優れた文章である。

ピアノの調律師の話である。タイトルに使われた「羊と鋼」はピアノの材料に使われている素材である──と言われても、我々ピアノに詳しくない者はすぐにはピンと来ない。

あ、そう言えば、グランドピアノの蓋を開けたら何本もスチール弦のようなものが張ってあった、とすぐに思い出すのであるが、でも羊は?と思う。

ピアノを弾く姉がいた僕などは、この小説を読み進むうちに、その鋼にぶつかって音を出しているハンマーのようなものが白い羊毛に覆われていた記憶が甦ってくる。そして、1年か2年に1回来ていた調律師が鍵盤を鳴らす音が脳内で聞こえるような気さえしてくる。

この小説を読んでいると音楽が聞こえてくる──などとは言わない。滅多なことで本から音は鳴るものではない。ただ、読んでいると不思議にピアノが鳴っているのを感じるのである。それは感じるという以外に言いようのない体験である。

そして、それを感じさせるところが、まさに宮下奈都の筆致なのである。

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Tuesday, June 28, 2016

『ジョージ・サンダース殺人事件』クレイグ・ライス(書評)

【6月28日特記】 僕はクレイグ・ライスの大ファンで、彼女の作品はほとんど読んでいる。

ミステリの作家ではあるがシリアスな作風ではなく、所謂スクリューボール・コメディと言われる、如何にもアメリカらしい、減らず口から皮肉や茶化しが溢れ返る喜劇である。

だから、正統的なミステリ・ファンが読むと、「なんだ、これは?」と思うかもしれない。

時としてトリックや謎解きの妙よりも、トリックにうっかりひっかかってしまったり、お門違いの推理をして泥沼にはまったり、それを突破するためにあまりに無茶苦茶な手段に訴える主人公のドタバタのほうが面白かったりするのである。

だから、ライスは、この文章をここまで読んで興味が湧いた人だけが読むべき、いや、ひょっとしたら興味が湧いた人しか読んではいけない作家であると言えるのかもしれない。

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Sunday, May 22, 2016

『エコー・メイカー』リチャード・パワーズ(書評)

【5月22日特記】 随分と時間がかかってしまった。何しろ44字×21行×628頁の大著である。しかし、「ああ、しんどかった」というのが半分ある一方で、「パワーズは年々読みやすくなっている」という思いが半分ある。

それぐらい晦渋な作家だった。話が入り組みすぎていて、飛びすぎていて、しかも扱う領域が該博と言うのを超えて果てしなく、もう追従不可能なバケモノ的な作家──というのが、かつて僕がこの作家に持っていたイメージである。

この作品は2006年に発表され、全米図書賞を受賞している。順番としては『われらが歌う時』(2003年)の次、『幸福の遺伝子』(2009年)『オルフェオ』(2014年)の前に書かれた小説である。

僕はすでに後の2作も読んでしまっているが、こうやって並べてみると、どんどん読みやすくなっているという印象はますます強くなる。

しかし、それは彼が構築する物語が単純で解りやすいものになっているということでは全然ない。

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Wednesday, May 11, 2016

『ネット炎上の研究』田中辰雄・山口真一(書評)

【5月11日特記】 この本は近年話題になることが多い炎上という現象のトレンドを読みやすくまとめたようなものではない。これは主に定量的な分析に基づく正真正銘の学術研究書である。

──我々が今必要なのはこういうアプローチだったのである。

これまで自分の乏しい経験に基づいて何となく印象論で語ってきたことが恥ずかしくなる。正しい手法で集められたデータを正しい手法で分析してみると、こんなにも違うイメージが浮き上がってくるのである。

学術研究書であるからには、それほど与し易い本ではない。とても理解できないような難しい数式も出てくる。しかし、記述の仕方は極めて分かりやすい。

時間がない人は「はじめに」と題された冒頭の4ページだけを読めば良い。これがそのままこの本のまとめになっているからだ。

冒頭だけではない。どの章でも最初にまとめが書いてあって、そこから細かい分析や証明、補足、例示などが続いていて、すらすらと頭に入ってくる。そういう手法によって炎上が起こるいろんな仕組みや構造が次々と明らかになるのだ。

その中でも一番目から鱗だったのは、本の帯にも書いてあるように、「炎上参加者はネット利用者の 0.5%だった」ということである。

炎上という現象は、それを受けた側からすれば、世間が一体となって自分を非難しているかのように思えるのだが、実のところはごく一部の特異な人たちが何度も何度も繰り返し書き込みをしてるにすぎないということが判る。

そして、今まで「定収入、低学歴、独身のネット・ヘビー・ユーザー」とイメージで語られてきた攻撃者のプロフィールは全然違っていたということも判明する。

この本は学術的なアプローチで、炎上の内実を次々に紐解いて行く。我々の思い込みは否定され、そのことによって、我々の炎上対策は新しいフェーズに入る。

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Thursday, April 07, 2016

『異類婚姻譚』本谷有希子(書評)

【4月6日特記】 本谷有希子はずっと気になっていた作家だ。

僕がその名前を知ったのは2007年の映画『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』の原作者としてだった。佐藤江梨子の演技も吉田大八の演出もともかく凄かったということもあったが、まずもってこのストーリーは何だ!と腰を抜かした。

佐藤江梨子が演じていた澄伽という傍若無人のバカ女に対して、僕は共感の欠片も持ち得なかった。むしろ殺してやりたいぐらいの嫌悪感があった。でも、「あー、いるんだよ、こんな女」と歯ぎしりしたくなるほどのリアリティがあった。

佐津川愛美が演じた妹も含めて、この刺すような洞察は何なんだろう? この毒素の強い描き方はどこから来るんだろう? これは恐らく吉田大八の脚本だけの力ではない。多分原作からして凄いのだ。

でも、原作もこういうトーンなのだろうか?──などと思いながら、結局僕は彼女の小説を読むことも、彼女の芝居を観ることもないまま時が経ってしまった。

で、何度か芥川賞候補になり、僕は読んだこともないのに、「そのうちきっと獲るだろうな」と思っていたら、本当に受賞したのがこの作品だった。

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Saturday, March 26, 2016

『モナドの領域』筒井康隆(書評)

【3月26日特記】 筒井康隆の小説は何作か読んでいる(が、とりたててファンではないので、多分代表作を読み落としていたりすると思う)。

で、筒井康隆らしい(と言えるほど実は読んでいないのだが)不思議な話である。

河川敷で女性の右腕が発見される。そして、近所の公園からは片足が発見される。バラバラ殺人──と誰もが思うだろう。しかし、その後、女性の体の他の部分はどこからも出てこない。この辺の外し方が僕には筒井康隆らしく思えるのだが、どうだろう?

その代わり、近所のベーカリーでアルバイトをする学生がいきなり右腕の形のパンを焼く。その後、足の形のパンも焼く。彼の目は細かく動きまくっている。そのベーカリーの常連の美大教授が右腕のパンを気に入って買う。そして、新聞にそれを投稿する。

その後、教授は神がかりになって GOD と名乗る。彼の目もいつの間にか細かく動きまくっている。

教授に信者めいたシンパができる。警察が教授を逮捕する。裁判にかけられる。

と、まあ、この辺までは筋が動くのだが、後半は延々と裁判のシーンと、教授がテレビ出演したシーンの会話劇。しかも、教授が哲学めいたことを言うので、やたらと難しい。

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Thursday, March 24, 2016

『エンピツ戦記』舘野仁美(書評)

【3月24日特記】 珍しく他人から借りた本を読んだ。

僕は基本的に本は買って読む主義だが、頑なに借りることを拒否しているわけではない。

僕の勤務先の放送局はアニメを多く手がけており、従ってアニメに造詣の深い社員も少なくない。そんな社員のひとりが「面白いよ」と言うので借りたのである。

で、事実面白かった。と言うか、ジブリのすごさに舌を巻いた。

この本は長年スタジオジブリで「動画チェック」という仕事をしていた舘野仁美という人が、ジブリの社内報向けに書いていた文章を、再編集して出版したものである。

「動画チェック」というのが何をする仕事なのか、一般人は知らないだろう。こういう業界にいながら、僕も知らなかった。恐らくアニメ制作に直接関わったことのある人しか知らないと思う。

だから、筆者はそういうところから丁寧に説明してくれる。そして、そういう説明を読むにつけて、アニメって、そんなにも多くのスタッフが、そこまで細かい分業体制で作っているのか!と驚くばかりなのである。

いや、これらは決してアニメ業界共通の一般的なやり方ではないと書いてある。むしろジブリならではの部分が多いようだ。だからこそ、ジブリはこれだけクオリティの高い作品を作り続けて来られたのか!と舌を巻いたのである。

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