『日本人も悩む日本語』加藤重弘(書評)
【12月2日特記】 ホームページのほうにも書いたことなのだが、僕は日本語に関するエッセイを書いているが、では日本語に関する本をよく読むかと言われると必ずしもそうではない。何故なら、端的に言って、読んだら書けなくなってしまうからだ。
自分がすでに知っていたことを読んだ場合、それについて書くと、前から知っていたにも拘らずなんだか盗んだような気分になってしまう。自分が知らなかったことを読んだ場合、それを書くと単なる受け売りになってしまう、というわけだ。
だから、のべつまくなしに読むことはしない。結構厳選して読んでいるつもりである。
で、この本は良かった。書いている人のポリシーがはっきりしている。「この表現は正しい」「この用法は間違っている」などと安易に断定してしまうのではなく、言葉というものが移ろい行くさまを正確に伝えようとしているからだ。
あとがきにはこう書いてある:
日本語においても、受容されて定着した変化は相応の合理性があるものであり、合理性がなければ長期的には淘汰される運命にあると言ってよいだろう。
あるいは第4章にはこんな表現がある:
つまり、「ご苦労さま」を目上に使うと失礼にあたるということはやや単純化し過ぎているのであって、まだ、適切か不適切かの境界線にあると考えたほうがいい。たいていの場合はそれで人間関係をしくじったりしないだろうが、ことばの世界は実はもっと奥深いものである。この複雑さと奥深さを無視せずに、少しでも理解しようとする度量と余裕があったほうがいいと思うのである。
ある意味非常にクールな姿勢であり、逆に、ある表現が正しいのか正しくないのかを安直に知ろうとして読み始めた読者をイライラさせる態度であるのかもしれない。
しかし、言葉とはそんなものなのである。
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