Friday, December 19, 2014

『コールド・スナップ』トム・ジョーンズ(書評)

【12月19日特記】 トム・ジョーンズというイギリスの有名な小説の主人公やアメリカのポピュラー・シンガーと同じの、ありふれた名前を持つ作家が、一体何者なのかは知らない。ただ舞城王太郎の初の翻訳書ということだけで買った。

岸本佐知子が訳したこともある作家であり、柴田元幸が解説を書いていることにも惹かれた。そして、読んでみると、最初の作品の1行目から、まさに舞城王太郎が訳すにふさわしい短編集であるように思えた。

しかし、それにしても一風変わった設定の作品が多い。

最初の表題作「コールド・スナップ」から何作かは、アフリカが舞台であったり、アフリカから帰ってきた人物が主人公であったりする。そして、出て来るのは医者、それもNPO法人から派遣されてアフリカに行っている(いた)医者である。この作家はそういう経験を持っているのだろうか?

そして、軍隊の話やボクサーの話もある。柴田元幸の解説を読むと、この辺の設定もトム・ジョーンズの定番であるらしい。

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Monday, November 10, 2014

『アイドル国富論』境真良(書評)

【11月10日特記】 境真良さんの本を読むのは『テレビ進化論』『Kindleショック』に次いで3冊目である。この3つのタイトルを並べてみただけでも、いかに守備範囲の広い人なのか分かるだろう。

ご存じない方のためにもう少し著者のプロフィールを紹介すると、境さんは東大卒で、経済産業省の現役官僚である。そして、大学の先生でもある。で、もうちょっと驚かすなら、ついこの間までニコ動でおなじみの(株)ドワンゴに出向していたのである。

この本のタイトルを見て軽いアイドル論だと思ってはいけない。これは学術論文であると言っても良いくらいの本である。本屋で平積みになっているライト・エッセイの類と一緒にしてはいけない。論理的整合性、論旨の通り具合がそこら辺の“読み物”とは違うのである。

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Saturday, October 11, 2014

『かもめのジョナサン(完成版)』リチャード・バック(書評)

【10月11日特記】 1970年代にベストセラーになった時には読まなかった。読まなかったが少し気になってはいた。どんな本なのかはよく知らない。知らないからこそ気になっていた。このたび長らく未公開だった第4章が加わって完成版になったというので買ってみた。

結論から先に書くと、残念ながらあまり共感を得られる本ではなかった。それは第4章があろうとなかろうと同じだろう。

僕は単純なものに惹かれない。複雑なものに惹かれる。現に世界は複雑なのである。それをむやみに単純化しようとするのは危ない試みである。そして、単純な何かになぞらえようとするのはもっと危険な試みである。

これは寓話なのか童話なのか? ま、どちらでも良いが、作者は人間の思いを必死にカモメに込めようとしている。

この本を読みながら脳裏に浮かぶのはカモメが大空を羽ばたいている姿ではなく、それを思い浮かべながらどうなぞらえるか呻吟している小説家の姿である。

そんなに告発したいことがあるのなら論文を書けば良いのにと思う。ただ、第4章を書き加えた(と言うよりも、封印していたものを解禁した)ことによって、あまりに薬臭かった作品が少し物語らしくなったのも確かではある。

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Thursday, October 02, 2014

『闇の中の男』ポール・オースター(書評)

【10月2日特記】 ポール・オースターも若い頃と比べると随分作風が変わってきたように思う。

考えてみれば彼もデビュー作からもう30年以上過ぎ、つまり、僕も30年近く読み続けているわけだ。お互い年を取るのも当たり前だし、作風が変わるのも、それを読んだ時の感じ方が変わるのもむべなるかなというところである。

ところで、柴田元幸の「訳者あとがき」によると、この小説は2002年の『幻影の書』から始まった、「部屋にこもった老人の話」の最後に当たる5作目で、その次の小説からはかなり傾向が異なっているのだそうだ。

そして、そのいずれもが恐らく2001年の9.11の影響を多かれ少なかれ受けているのだろうけれど、柴田によると、この『闇の中の男』についてはブッシュ政権に対する怒りの表れと読み解くことができるのだそうだ。そう言われるとなるほどと思う所が多々ある。

もちろん、柴田が書き添えているように、「書き上がった小説は、歴史上の変数を一つ二つ入れ替えることであとは論理的にすべてが演繹されるような作品ではない」。

今回直接的に描かれているのは、眠れない老人である。辛い過去を抱えて眠れない老人の話である。

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Thursday, September 25, 2014

『こころ』雑感

【9月25日特記】 新聞のWeb版で夏目漱石の『こころ』を読み終えた。そう、今非常に評判の悪い朝日新聞である(笑)
読み始めた時はまだここまで評判は悪くなかったのだが…。

この小説がちょうど100年前に朝日新聞紙面に連載された当時とほぼ同じペースで朝日新聞DIGITALに掲載されたので、僕らは明治の新聞購読者の読書を追体験したわけだ。

僕が『こころ』を読むのは多分3回めだと思う。読んだことを忘れてもう一回読む(実は時々やっているw)のでなければ、僕が同じ本を読み返すのは非常に珍しいことである。

別にこの小説にそれほど強い思い入れがあったわけではないのだが、毎朝少しずつ iPad や iPhone で読むのなら楽に読めるなと思って読み始めた。その連載が今朝終わったのである。

こんな歴史的名作にいまさら書評めいたことを書く気はないのだが、今読んでも面白いという事実に改めて驚いた次第である。

それはやはり、明治の時代に日本人のものの考え方・感じ方が大きく転換して、その「精神」が今に直結しているからだと言えるだろう。

あるいは、個人と社会の軋轢、男女観・倫理観の綻びなどの問題を、明治から今に至るまで、あいも変わらず未解決のまま引きずっている部分があるから、今読んでも胸に響くのかもしれない。

皮肉なことである。

しかし、『こころ』が昔の読者に対しても、今の読者に対しても、ものを考える材料となるのは、独り日本社会の停滞によるのではなく、やはり夏目漱石という文豪の着目点と筆力の卓越に負うところが大きいと思う。

小説の最後で主人公の一人称に戻るのではなく、先生の遺書の文章の終了とともに話を閉じてしまうところが、逆に非常に技巧的であるように思えた。

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Friday, September 12, 2014

『英国一家、日本を食べる』(その2)

【9月12日追記】 訳書を初めて読んだので、寺西のぶ子さんにメールで連絡を取った。彼女が結婚退職してから初めてのことだ(その辺りの経緯についてはここをお読み下さい)。

返事はすぐには来なかった。その間に、僕のブログの自分の訳書に関するところだけでなく、他の記事も結構読んでくれたようだ。

一緒に渋谷界隈を歩いたことは憶えていてくれた。「年間に本を100冊読む人?」という問いについては憶えていないと言う。まあ仕方がないよね。何十年も前の話だもの。

で、僕が書いたことに対して、彼女がひとつだけ「誤解されているかも」と思ったのは、僕が「良い原文に当たって本当に良かったね」と書いたところだと言う。

なんとなれば、彼女はたまたまラッキーなことに誰かから「この本を訳してみれば?」と持ちかけられたのではなく、「これまでずっと、自分から原書を探しに行って、出版社に紹介するというスタイルでやってき」たのだそうである。

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Thursday, September 11, 2014

『彼が通る不思議なコースを私も』白石一文(書評)

【9月11日特記】 白石一文を読むのはこれが4冊目か。そろそろホームページの「僕の読書遍歴、その周辺」で取り上げなければ。あのコラムは自分の本棚に3冊以上本が並んだ作家について書いているので…。

この人の小説を読んでいると、若いころの宮本輝を思い出す。テーマの選び方など、よく似ているのではないかな。白石のほうが少し幻想的な気もするが。

いずれにしても、緻密に言葉を積み繊細に表現を編んで行く作家ではない。ストーリーで押して行くタイプ、そう、ストーリー・テラーだ。そして、動画の一番良いところをストップ・モーションで切り取ったような、鮮やかなシーンが描ける作家でもある。

ただ、タイトルは巧くない気がする。この小説の、このリズムの悪い題も一体何なんだろうと思う。

いつものように、一見何でもない人生のひとコマを描いているようで、実はこれも不思議な話だ。

主人公の霧子は親友であるみずほにつきあって別れ話に同席する。ところがどうしてもみずほと別れたくない優也は衝動的にビルの屋上から飛び降りてしまう。そこを通りがかったのが林太郎で、彼は何故だか優也が無傷で助かることを予見していて、飛び降りるところを見ていたにも拘らず立ち去ってしまう。

霧子はその不可解な行動に納得が行かない。そして、数日後、コンパの席で霧子は林太郎に再会し、あの時のことを問い質す。しかし、なんだかはぐらかされ、そして、あれよあれよという間に2人は結婚してしまう。

霧子は結婚を後悔してはいないが、それにしても自分でもどうしてそんな流れになったのか、いまイチ解らない。

しかし、林太郎はその結婚さえ予見していたフシがある。

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Tuesday, August 26, 2014

『英国一家、日本を食べる』マイケル・ブース(書評)

【8月26日特記】 この本を読んだのには特別な理由がある。何を隠そう、この本の訳者の寺西のぶ子さんは僕の会社の同期なのである。前置きが長くなるが、このことは是非書いておきたい。

彼女は僕の恩人でもある。僕は最初の転勤が不本意で、生まれて初めて東京に行くのが嫌で嫌で、ものすごく落ち込んでいた。すると、彼女が「私、大学が東京だったから、案内してあげる」と言って、わざわざ東京まで来て、僕を案内して一緒に表参道から渋谷まで歩いてくれたのである。

励ましにもならないような励ましかもしれないが、僕は今思えば、あの日があったから、その後も折れずに頑張れたし、次第に東京の素晴らしさも解るようになったのだという気がする。

彼女は入社して4~5年で2年上の先輩と社内結婚して退職した。そして、子供が生まれ、漸く子育てに手がかからなくなってきた頃から、彼女の訳した本が書店に並ぶようになってきた。

僕の記憶が正しければ(とわざわざ書いているのは、僕の記憶は甚だいい加減で、ひょっとしたらこれも誰か他の同期の女性と混同しているかもしれないからだがw)、新人研修の時に講師に「この中で年に100冊以上本を読む人」と問われて、手を挙げた唯一の人物である。

彼女からは、本が出るたびに案内のハガキをもらっていた。でも、読むのはこの本が初めてである。それまでに彼女が訳した本は、いずれも僕が興味を持てないジャンルやテーマのものだったからである。

こういうのは僕独特の考え方かも知れないが、知り合いだから、友だちだからというだけの理由で、興味のない本を手に取るのは著者(訳者)にとって失礼なような気がしたということもある。

で、この本の案内をもらったときに、初めて「あ、こういう本なら読んでみようかな」と思った。でも、ちょうど買ったまま読んでいない本が溜まっていた時期だったので、結局買わないまま一年以上が過ぎてしまった(その間に続編も出版された)。

そして、そうこうするうちに、今度は別のことが起こった。

僕が twitter で知り合って、オフでも何度か会うほど親しくなった女性がいるのだが、彼女がある日 facebook でこの本を激賞しているのに出くわしたのである。

それだけなら、「偶然って、あるね」という程度の話なのだが、彼女の褒め方に驚いたのである。

彼女は、「この本は訳が巧い。よく分かっている人が翻訳しているから、とても面白い」みたいなことを書いていたのである。人が本を褒める時に、訳を褒めるというのはそうそうあることではない。

それを読んで僕は飛び上がるほど驚き、即 Amazon でポチッとしたという次第である。

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Saturday, August 09, 2014

『恋しくて』村上春樹・編訳(書評)

【8月9日特記】 何度か書いているが、僕は短編よりも長編小説を好む。一瞬の斬れ味を楽しむ短編より、積み上げられた構造物の重みを味わいたいのである。ところが、「村上春樹・編訳」などとクレジットされていると、ついつい買ってしまうのである。

ここには10編の短編小説が収められている。中にはドイツ語など、他の言語から英語に訳されたものを日本語に重訳した作品もある。

最後の村上春樹以外はいずれも僕には馴染みのない作家である。でも、新進気鋭の作家とは限らず、もうすでに功成り名遂げた大家も何人か含まれている。

最後の一編を自分で書いたことについて、村上春樹は、「小説家がアンソロジーを編むと、収録すべき作品の数が足りなくても『ええい、面倒だ。自分で書いちまえ』という裏技があるので楽だ」と書いている。

まあ、それはどうだろうか(笑) 翻訳が9、書き下ろしが1というのは『バースデイ・ストーリーズ』とほぼ同じ構成(あっちは翻訳が10編あった)なので、最初からそこそこの作品を9~10集めて、最後に一編書き足そうという計画であったのではないだろうか。

それぞれの作品の扉の裏のページにある作者の紹介文では、村上春樹は「時に小説も書く」と書かれている。これは誰が書いたのだろう? もちろん村上春樹本人である。本人でなければ村上春樹をそんな風に茶目っ気たっぷりには紹介できないだろう。

ということで、この短篇集は村上春樹がものすごく楽しみながら編んだ短篇集であるということが、いろんなところから伝わってくる。

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Monday, July 21, 2014

『テレビという記憶』萩原滋・編(書評)

【7月21日特記】 読んでいてそれほど面白い本ではない。何故ならば、面白おかしく書こうとしていないから。そう、これは紛れもない学術書である。

インターネットの発達によって、テレビを中心としたメディア環境はどう変化しているのかを探るために、編者たちのグループは大々的なアンケートやインタビューを実施してきた。その概略をまとめたのが本書である。

この手のテーマで面白おかしく書こうとしている本は、大概「だからもうテレビはダメだ」という結論に至るか、少しひねくれた著者なら逆に「いや、まだテレビはメディアの中心だ」というような結論に持って行く。

ただ、いずれの結論も、我々この業界で働く者にとっては、それほど新奇でもないし、役にも立たない。テレビの視聴が相対的に減っていることは誰もが身を以て感じていることであり、知りたいのは最終的にそれがもうダメなのか生き残るのかではなく(そんな“予想”を聞いても仕方がない)、それがどういう背景によって、どういうメカニズムで起こっているかということである。

そういう意味で、本書は我々にとっては有用な本である。

定量的なデータと、定性的なインタビューの回答がずらっと並んでいる中で、示唆に富んだ分析もそこかしこにある。例えば、

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