Monday, December 17, 2012

『[MAKERS]21世紀の産業革命が始まる』クリス・アンダーソン(書評)

【12月17日特記】 僕は今まで読んだウェブ・マーケティングの本の中ではクリス・アンダーソンの『ロングテール』が飛び抜けて素晴らしいと思っている。あの観察と分析、理論構築と実証の能力は卓越していて、まさにあの本でアンダーソンが指摘をした通りに、マーケティングの世界が進化しているのを日に日に感じている。

そして、その彼が次に書いたのが『フリー』であった。ここで彼が説いた“フリーミアム”という視点は、それを読んだ時点では目新しいものであったが、今ではもう商売の常道のようなものになってしまった。

何故この人にはこんな本が書けるのだろう? それが僕には不思議で仕方がなかった。「たかが」といってしまうにはあまりに有名な雑誌ではあるが、それでもたかがワイアード誌の編集長ではないか?

ところが、この本を読んで、そもそも彼がジョージ・ワシントン大学で物理学を、カリフォルニア大学バークレー校で量子力学と科学ジャーナリズムを修めた人物であることを知った。それから彼はネイチャー誌とサイエンス誌の記者となり、続いてエコノミスト誌の編集者となったのである。なるほど、と思う。

そして、それ以前に彼は、街の発明家を祖父に持つ、技術工作好きの少年だったのである。それらのことが見事にここまでの彼の仕事に繋がっている。

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Wednesday, November 28, 2012

『中の人などいない @NHK広報のツイートはなぜユルい?』NHK_PR1号(書評)

【11月28日特記】 あっちはNHK、こっちは民放とはいえ同じ業界にいて、あっちは公式、こっちは勝手にやっているだけとはいえ、同じように twitter をやっている者として、ものすごく共感の持てる本である。

まるで会って打ち合わせたかのようにPRさんと全く同じ感慨を持ち、全く同じ結論に達している。僕らは会ったこともないし、それどころか、ほんの1ヶ月ほど前までは僕はPRさんをフォローしていなかったし、PRさんのほうはこの3年間ほど一貫して僕をフォローしてはいない。なのに辿り着くところは全く同じなのである。

これこそが twitter の不思議であり、マジックなのである。

もちろん、PRさんのツイートと僕のツイートでは随分印象は違うだろう。それは中の人(PRさんは「中の人などいない」と書いているけど、ま、ここでは便宜上そう書く)の個性が現れているからである。

しかし、その書きっぷりの個性は別として、twitter って本質的にこういうものではないかな、企業アカウントをやるならこういう風にツイートするべきではないかな、twitter の怖いとこ・難しいとこってこういうとこだよね、こういう時が twitter やってて一番嬉しい時だよね──みたいな感慨が、この本に書いてあることと僕とでほぼ完全に一致するのである。僕らは全く別々にツイートして来たというのに!

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Thursday, November 22, 2012

『語感トレーニング』中村明(書評)

【11月21日特記】 僕はこの人が編んだ『日本語 語感の辞典』を持っている。発売してすぐに買った。まさに待ち望んでいたような辞書だった。

しかし、この本は、辞書であると言いながら、収録されている語数も多くなく、そういう意味でやや実用性に欠けるところがある。パラパラとページをめくって、読み物として読めば非常に面白いのだが、かと言って、読み物の体裁を取っているのではなく、形式はあくまで辞書であり、読み物のように体系立てて読者に語りかけてはくれないのである。

──そういう読者のジレンマを解消してくれたのが、今回のこの新書ではないかと思う。
ここでは「語感」というものを、1)表現する《人》に関するもの、2)表現される《もの・こと》にかかわるもの、3)表現に用いる《ことば》にまつわるものの3つに分類し、それに沿った章立てになっている。

例を挙げれば、1)は男言葉と女言葉の違いである。2)は男を形容する言葉と女を形容する言葉の別である。そして3)はどれだけくだけた言葉か、といったようなことである。
なんとも解りやすい整理の仕方ではないか。そして面白い。

ただ、僕としてはひとつだけ困ったこと、と言うか、少し居心地が悪いところがある。

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Wednesday, November 07, 2012

『ねじまき少女』パオロ・バチガルピ(書評)

【11月7日特記】 読み終えるまでに随分時間がかかってしまったが、決して面白くなくて読みあぐねていたわけではない。SF慣れしていない僕が全体像を掴むのに時間がかかったということである。

ともかく入り組んだ話である。まず場所はタイの首都バンコクである。時代は近未来。多分地球温暖化の影響で、世界中の海面が上昇し、ほとんどの沿岸都市は水没してしまっている。タイは防潮堤を巡らせてそれを逃れたのである。

加えて遺伝子操作の弊害で複数の疫病が農作物と人間を冒している。そのため病気に耐性のある作物を栽培できる何社かの「カロリー企業」が世界の産業と経済を支配している。

石油資源は枯渇しており、機械や設備は「手回し」や「ゼンマイ」で動いている。ゼンマイと言っても、人間の手で巻くのではなく、これまたメゴドントという遺伝子操作された強靭な象を鞭打って巻かせているのである。

国は「子供女王陛下」とその摂政たるチャオプラヤによって治められているが、実質上治安を掌握しているのは環境省の検疫取締部隊である「白シャツ隊」であり、環境省と通産省の間には激しい権力争いがある。

そして、そこに住むのはタイの民族だけではなく、主にカロリー企業の社員であるファラン(西洋人)と、「イエローカード」と呼ばれる中国系難民がおり、さらにその他に、遺伝子操作で作られた新人類である「ねじまき」がいる。ねじまきは全て日本製で、タイにおいては違法な存在である。主人に従うようにプログラムされ、肌理が細かくなるように毛穴を少なくしているので、タイのような暑い国ではすぐにオーバーヒートしてしまう。

──僕は普段は書評を書く時にはこんなに詳しく設定やストーリーについては触れないのだが、今回はこういうことを説明することが、この本の面白さを説明する一番の方法だと感じるので、こういう書き方をしてみた。

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Friday, September 14, 2012

『東京プリズン』赤坂真理(書評)

【9月14日特記】 かなり話題になっている小説だ。そして、僕にとっては初めて読む赤坂真理。しばらく読み進むうちにスティーヴ・エリクソンを思い出した。あの、現実と幻想が混濁する感じ。騒然とした感じ。あるいは、(そこまで圧巻かつ猥雑ではないにしても)ドン・デリーロの『アンダーワールド』。すべてが繋がっているのだという感覚! ああ、日本にもこんな小説を書いている作家がいたのか!と驚いた。

16歳のマリはアメリカに留学している。そして、国際電話を通じて30年後の自分と会話をする。物語の語り手は16歳のマリであったり、30年後のマリであったりする。そして、読んでいると時々どちらが語っているのかさえ分からなくなる。

そのマリが学校の課題で、天皇の戦争責任というテーマで研究発表をさせられる。スペンサー先生によって研究発表の予定がいつのまにかディベートにすり替えられ、肯定側、つまり、日本の天皇には戦争責任があるのだという見解に立って弁舌させられる。

しかし、これは例えば東京裁判という歴史的事実に新解釈を施したというような小説ではない。そういうことを期待して読むと期待外れに終わるだろう。

では何を描いているのか?

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Wednesday, August 22, 2012

『七夜物語』川上弘美(書評)

【8月21日特記】 宣伝文句をちらっと読んだ限りでは面白そうだったし、川上弘美の長編だということで、あまりどんな系統の作品か知らないまま飛びついてしまった。しかも、上下巻に分かれているということさえ確かめずに、上巻しか買っていなかった。

で、読み始めたら、なんと、これは紛れもない児童文学ではないか! 児童文学というのは児童が読む文学で、大人が読むとそれほど面白くない。得てして設定が単純で大人の好奇心を満たすほどの変化に乏しいことが多いのである。

この物語も、そういう意味で如何にも児童文学という感じがある。しかも、著述がある程度進んでから少し前に戻って「こんなことになるのはおかしいと思うかもしれないが、実はこれこれだったからである」みたいな表現が何箇所かあり、作家は最初にしっかり話の構造を作ってから書くのではなく、書きながら作っているような、考えながらの流し書きみたいな感じがある。

そういうわけで上巻の3分の2近くまで読み終えた時点で少し飽きてしまい、「もう下巻は読まなくてもいいかな」と思ったほどであった。

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Tuesday, July 31, 2012

『夢違』恩田陸(書評)

【7月31日特記】 これは久しぶりに恩田陸らしい恩田陸だった。いや、恩田陸にはいろんな顔があっていろんなファンがいるので、読者の中には「これが恩田陸らしい恩田陸とは思わない」と言う人もいるのかもしれない。言い直すと、これこそは僕の好きな恩田陸だった。

「夢札を引く」という味わい深い表現──背後にいろんな想像が膨らんでくるこの表現を軸に、物語は展開する。この物語の時代には人間の見た夢を記録する機械ができている。そして、記録された他人の夢を見て、精神医学/カウンセリングの立場からそれを分析する職業がある。

その機械には「獏」という絶妙な名前がついているが、ではそれを使ってどうやって記録し、どうやって見るのかについて、あまり詳しいことは書かれていない。この辺りの、どこまで明示的に叙述するかが如何にも恩田陸らしい見事な匙加減なのである。適当なところで止めてあるから、読者の想像は却って止まらない。

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Saturday, July 14, 2012

『曲り角の日本語』水谷静夫(書評)

【7月14日特記】 僕は「言葉好き」なのでこういう本をたくさん読んでいると思われているかもしれないが、好きなだけにありきたりなもの、底の浅いものを排除しようとして吟味してしまう。もちろん読んでみなければその辺のところは判らないのであるが、でも、この勘は昔からあまり外れることはなかったように思う。

それで、この本だが、さすがに辞書の編纂者が書いた本である。1926年生まれというのを知って、少し古臭いのではないかと心配したのだが、なんのなんのこんなに先進的でスリリングな日本語論を、僕は未だかつて読んだことがない。世の中に数学と言語学を関連付けて研究している学者がいるとは思いもよらなかった。

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Tuesday, July 03, 2012

『ブルックリン・フォリーズ』ポール・オースター(書評)

【7月3日特記】 ポール・オースターはどうもナショナル・ストーリー・プロジェクトに絡み自らも『トゥルー・ストーリーズ』を執筆して以来、“名もなき人たちの数奇な人生”というコンセプトの虜になってしまったようだ──というのが、僕がこの本を読んでいる最中に最初に感じたことだ。

そして、例によって読み終わってから柴田元幸による訳者あとがきを読むと、これは『幻影の書』から5作連続でオースターが書いた、「自分の人生が何らかの意味で終わってしまったと感じている男の物語」の3作目であり、3作連続で書いた「中高年の物語」の最初の作であると言う。なるほど、そういう整理の仕方があるのかと思った。

いつものオースターと少し異なるのは、柴田も指摘しているように、登場人物への焦点の当て方からするとやや「群像ドラマ」風であるということと、僕が思うに、先の読めないストーリーであると思った。展開がこれほど予想を裏切る、と言うよりも、先を予想することさえ許さない小説を、今までオースターは書いていただろうか?

いや、他の作家が書いた小説にも、これほど読めないタイプのものがあっただろうか?

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Sunday, June 10, 2012

『女の子を殺さないために』川田宇一郎(書評)

【6月10日特記】 文学論である。あまたある村上春樹の謎解き本のうちのひとつと言っても良いが、扱っている範囲はもっともっと広い。その広い分だけ、今どきこんな本は流行らないのかもしれないが。

実は著者の川田宇一郎は知っている人である。と言うか、ウチの会社にいた。と言うか、入社試験の2次面接だか何だかの2人の面接官の片割れが僕だった。彼はその時すでに群像新人賞の受賞者であったが、だから面接を通したというわけではない。ただ、彼が入社してからは、いろんな人に「なんであんなヤツ通したんですか?」と言われた(笑) そして、そうこうするうちに彼は会社を辞めてしまった(再笑)

あれから何年経ったのだろう? 彼は群像新人賞を受賞した時のテーマをそのまま持ち続けて、それを近代日本文学史全体に拡張してこんな面白い評論にまとめた。

僕の読んできた作家、とりわけ夢中になって読んできた作家が結構大勢取り上げられている。いつも書くように、僕は一度読んだ小説でも、少し時を経るとほとんど完璧に忘れてしまうのであるが、この本を読んでいると不思議なことに、忘れていたあの時の感動が不意に甦ってきたりする。

ヘルマン・ヘッセ、川端康成、坂口安吾、J・D・サリンジャー、安部公房、石原慎太郎、柴田翔、庄司薫、古井由吉、蓮實重彦、柄谷行人、村上春樹、斎藤美奈子、氷室冴子、浅田彰…。ありとあらゆる作家と作品が関係付けられる。

特に浅田彰の『逃走論』をX軸に、坂口安吾の『堕落論』をY軸に据えたような2次元的分析はめちゃくちゃ面白い。他にも村上春樹『風の歌を聴け』のハートフィールドと庄司薫の年譜を符合させてみたり、時々出てくる図解も、よくまあこんなことに気づいたなあと思うほど整合性があって、サリンジャーからナウシカまで手品みたいに繋がってしまう。

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