Saturday, December 27, 2008

『日本語が亡びるとき』水村美苗(書評)

【12月27日特記】 日本語ブームに乗ってその延長上でもうちょっと高尚な本でも読んでみるか──そんな調子でこの本を手に取った人は苦い思いをするだろう。これはそういう本ではない。読者に向けてのエンタテインメントの要素はどこにもない。

冒頭で謎を投げかけておいてそれを小出しに解いて行くとか、とりあえず何かキャッチーなフレーズでガサッと読者の心を鷲掴みにしてから書き進めるとか、著者にそんな気はさらさらないのである。唯一惹句と言えるのは「日本語が亡びる」というそのタイトルくらいのものである。

だから、最初は読んでいてもちっとも面白くない。著者は読者にサービスする気などなく、独自の日本語論を展開するに先だって必要となる前提を、帰国子女として、あるいは作家としての自己の経験から書き起こして、丁寧に丁寧に洗って行く。

この本の土台となる部分であるから、きわめて丁寧に、必然的にゆっくりゆっくり前提や背景や事実関係が洗い出される。言葉というものに強い興味を抱いている読者なら別に退屈で読めないようなことはないだろう。だが、それほど発見も驚きもないことが長々と書いてある。

だから、読むのを投げだすほどではないが、かといって面白くもないのである。もしもそれが言葉自体にはそれほど興味のない読者であったなら多分早くも二章で読むのをやめるだろう。

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Saturday, December 13, 2008

『きのうの世界』恩田陸(書評)

【12月13日特記】 恩田陸は僕の贔屓の作家と言って良いが、必ずしも片っ端から読んでいる訳ではない。なぜなら恩田陸は1人ではないから。

書店の棚には何人かの恩田陸が並んでいる。恩田作品の書評を書くときによく書いているのだが、僕が好きなのは『木曜組曲』『黒と茶の幻想』『夜のピクニック』『チョコレートコスモス』の恩田陸である。

この『きのうの世界』も上記4作品の恩田陸であるような気がして手に取ったのだが、残念ながらそうではなかった。これは「仕掛けに凝る」タイプの恩田陸だった。

長い話である。Mという名の不思議な構造をした町がある。そこで殺人事件が起きる。被害者はどこか他所の土地から来て何かを調べていた目立たない男。そして、それは大手家電メーカーに勤めていて突然失踪した市川と言う男で、彼は見たものを全て記憶してしまうという特異な能力を持っていたことが判る。

──出だしの何章かをまとめればそういうことになるが、その後も読み進むにつれて次々に新しい人物が登場し、それぞれが微妙に謎めいていて、物語は拡散するばかりで一向に収束して来ないような感じさえする。

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Thursday, December 04, 2008

『愛と日本語の惑乱』清水義範(書評)

【12月4日特記】 「いやあ、面白いですね、こういう本って」と、ついつい誰かに言いたくなってくる。「こんなもん、どこが面白いのか」と感じる人がいることは重々承知しながら、敢えてそういう人にそう言ってみたいような気になるのである。

主人公はコピーライターの野田である。言葉を扱う商売である。公共放送のSHKの用語委員もしている。

この小説の中に例えばこういう表現がある。同じく用語委員をしてる国語学教授の高田から彼の論文を渡された野田が、その中で暗に自分が非難されていることを知って怒るところである。

「名詞を動詞にするなとか、こだわりというのは悪い意味の言葉だとか、生きざまなんて言葉はない、なんていうイチャモンをいつまでつけているつもりなんだ」(60ページ)。

ここで言われている名詞を動詞にする誤用や「こだわり」の本来の意味については、この小説の中でちゃんと説明がなされている。しかし、「生きざま」についてはどこにも解説がない。

僕自身は知っている。「生きざま」という表現はおかしいという主張は今までに何度も読んだことがある。だから解説してもらう必要がないし、作者があえて解説なしに通り過ぎようとすることをむしろ好感を以て迎えるほどである。

もちろん僕はたまたま知っていたに過ぎず、読者の中には何故「生きざま」がおかしいと言われるのか知らない人もいるだろう。

もし、そこでひっかかって調べてみようと思う読者であれば、きっとこの小説を読んで面白いと思うはずだ。しかし、「なんか意味がよく分からないなあ」程度で読み流してしまう人は、この小説を読んでもちっとも面白くないはずだ。これはそういう本である。

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『πとeの話』YEO・エイドリアン(書評)

【12月4日特記】 中学・高校の数学で最初にどう習ったかを思い出してほしい。

  • πは円周率、つまり円周が直径の何倍かを表す数だと習った。
  • eは自然対数の底であり、y=a^x の導関数が自分自身となる場合が a=e であった。
  • そしてiは虚数、つまり2乗すると-1になるという不思議な数だった。

どう考えてもこれら3つが関係あるとは思えない。なのにオイラーの恒等式によると e^iπ+1=0 なのである。

数学の世界にはそういう不思議な公式が山ほどあって、そういう美しい公式を次々に羅列したのがこの本である。そして前半でのそういう公式/等式の紹介に続いて、後半ではその証明がこれまた順に羅列されている。

ただ残念なことに、この本は全体としてはそういう単なる羅列であって、読み物にはなっていない。

だから、例えば『博士の愛した数式』を読んでとても心魅かれた人がその数学面を深めるための更なる読み物としてこの本を取ったのであれば、その人は少しがっかりするかもしれない。そこには文章としての面白さはほとんど期待できないからである。

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Saturday, November 29, 2008

『地図男』真藤順丈(書評)

【11月29日特記】 何とも言えない独特の雰囲気を持った小説である、と途中までは思ったのである。

「あるひとりの子どもが、音楽に祝福されて産まれた」という書き出しでこの小説は始まる。これは「産声をあげた瞬間にはもう、その頭のなかに音楽を聴いていた」という音楽の天才児<M>の物語である。そして読み進むと、これを語っているのが「地図男」だということが判る。

いや、語っているところは最初は描かれない。それは彼が抱えている「関東地域大判地図帖」の余白に直接、あるいは付箋を貼ってその上に書かれた物語なのである。しかも、「もっとも厄介なのは、物語それぞれの展開にあわせて、書きこみ位置もちくいち移動すること」なのである。

この不思議な地図男の人物設定と言い、冒頭で語られる<M>の物語と言い、これはどこにもなかったような小説になっている。その後に語られる「東京都23区大会」もまた然り。不思議な雰囲気を醸し出していて、読んでいて非常に不思議な気分になってくるのである。

ところが後半になって少し色合いが変わってくる。

「ムサシとアキル」の話。これは残念ながらどこにもなかったような物語ではなくなってしまっている。村上龍か舞城王太郎が書いた小説だと言われるとそんな気がしてしまう。そういう話が出てくるとあまり面白くなくなってくる。

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Wednesday, November 26, 2008

『コミュニケーションをデザインするための本』岸勇希(書評)

【11月26日特記】 良い本である。広告の入門書でありながらかなり深いところまで掘り下げている。広告業界を志す学生さんには是非読んでもらいたい本だとも言えるし、一方、全くの門外漢が娯楽として読むのにも充分耐えうる本だとも言える。

つまり、面白いということ。

面白くなければ読んでもらえないということを、この著者はちゃんと解っているのである。そういう人でなければ大衆に訴求する広告は作れないし、解説本としても説得力はない。

なんと言っても良いところは、本のページの隙間に著者の人間的魅力のようなものが滲み出ているということである。

考え方がフレキシブル、などと書くと逆にちょっとインチキ臭いし、融通無碍などと書くと格好つけすぎの感じがする。そうではなくて「凝り固まってない」というのがこの著者のスタンスを一番良く表す表現なのではないだろうか?

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Tuesday, November 25, 2008

『われらが歌う時』リチャード・パワーズ(書評)

【11月25日特記】 僕にとっては『舞踏会へ向かう三人の農夫』、『ガラテイア2.2』、『囚人のジレンマ』に次ぐ4冊目のパワーズなのだが、今回も読み終わるまでにものすごく長い時間を費やしてしまった。

ただし、ひとつだけ今までと全然違う点がある。

読むのにものすごいパワーを必要とするところはいつも通りなのだが、今回は「難渋する」という感じがないのである。あれ、これがパワーズか?と少し不思議な気分になった。すらすらと読めるのである。

しかも、読んでいて楽しい。今までの作品では、読み終わった時の圧倒的な感慨は別として、途中読み進むうちは決して楽しいという感じはなかった。一貫してしんどかったのである。もちろん、そのしんどさがあったからこそ、読み通した後の解放感が大きな感動に結びついたのかもしれないが。

ただし、今回も決して生易しい素材ではない。そして、今回も複数の話が交錯する。

アメリカの白人とアメリカ人でない黒人の子供であるオバマ氏が選ばれた今年の大統領選を予見したかのように、白人と黒人の男女が出会って結婚するのがこの小説の出発点である。

現代の話ならそれほど驚くには足りないのかもしれないが、第2次大戦が終わってまだそれほど経っていない、黒人と白人の結婚を法律で禁じた州も多かった時代だ。

しかも、父親はユダヤ人の亡命者である。差別する側の白人とされる側の黒人という組合せではなく、ともに迫害を受けてきた者同士の結婚である。そして、そこには宗教的な壁も立ちはだかっている。なかなか日本人には想像のつかない設定である。

ああ、アメリカの黒人たちはこんな風に虐げられてきたのか、こんな歴史の中をかいくぐってきたのか、そして黒人と白人の間に生まれた子供たちは有無を言わせず黒人に分類されてたんだ、などと日本人はいちいち驚いてしまう。そして、これを書いているのが黒人でもユダヤ人でもない作家であることに思い至って、なんだかギョッとしてしまうのである。

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Saturday, October 04, 2008

『あしたの虹』はーぷる(書評)

【10月4日特記】 仕事の関連で廻って来たので読んだ。ケータイ小説である。そして、著者のぱーぷるとは実は瀬戸内寂聴なのだそうである。これはまた面妖なものを読んでしまった。

僕は今までケータイ小説なるものを読んだことはないし、瀬戸内晴美も瀬戸内寂聴も読んだことがない。これは瀬戸内寂聴が初めて書いたケータイ小説なのだそうだが、さはさりとて決して典型的なケータイ小説でもなければ代表的な瀬戸内文学でもないのだろう。それにそもそもケータイ小説が本になってから読むという読み方も邪道と言うべきかもしれないし。

なんとも中途半端なものを読んでしまったものだ。

で、読んでみてどうだったかと言えば、これは読む前から完全に予想していたことなのだけれど、面白くない。物足りない。全く深みがない。

所詮僕らのような人間にはそうなんだろうなあ。

「こんなものばかり読んでると馬鹿になるぞ!」と怒鳴りたい気持ちもあるけど、一方で若い子たちは何が良くてこういうのを読むのか(本で読むのとケータイで読むのとは根本的に読み方が違うんだろうか?)知りたい気もする。

ただし、これが他のケータイ小説と同じように捉えられ同じように好意的に受け入れられているのか、それとも所詮文豪が真似して書いたという化けの皮が剥がれて盛り上がりに欠けたのか、そのことさえ知らない。

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Thursday, September 18, 2008

『野球の国』奥田英朗(書評)

【9月18日特記】 いきなりこんなことを書くのも何だが、この本を読んで奥田英朗に幻滅した読者もいるんじゃないだろうか?

なにしろ人間が小さいのである。彼の小説の中に出てくる魅力的な人物たちのイメージからはほど遠い感じがする。小心で狭量で、そのくせ格好だけはつけていて、寒い中スーツケースを転がして次の宿泊先まで歩いている姿を「知り合いには死んでも目撃されたくない」(52ページ)などと大げさなことを言う。

だいたいにおいて自分が今日は何を着ているかをいちいちブランド名を挙げて描写する男性作家がどこにいる? でも、よく読んでみると着ているのはほとんどCPカンパニーの服ばっかりで、しかも、それも松屋銀座の女性店員に毎回選んでもらってるとなると格好つけてるんだかカッコ悪いんだか、という感じ。

で、「『芸術方面のお仕事ですか』と聞かれ、気をよくする」(55ページ)という俗物ぶりである。

じゃあ、そういう自分を客観視して、さらけ出して、笑いのネタにしているかと言えば、どうもそこまで思い切れた感じもなく、世間に対する恨みごとばかり書いていて、もちろんそれはそう書けば読者が喜んでくれるだろうという計算の下に書いているのだが、うん、どう言うか、カラッと晴れ渡った笑いにならないのである。自分を茶化し切れていない感じがするのである。

「わたしは、こころとストライクゾーンがとても狭い人間である。神経に障ることがいっぱいある。繊細と言いたいところだが、たぶん狭量なのだろう」(241ページ)などという表現がその最たるもので、読んでいて笑う前に、「そう、その通り」とついつい真顔で頷いてしまうのである。

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Friday, September 05, 2008

『早わかり世界の文学』清水義範(書評)

【9月5日特記】 自分のホームページに以前書いたことがあるのですが、僕は清水義範は僕の双子の兄弟だと思っています。

僕と似ているというようなものではありません。僕が普段から考えているのとほとんど寸分違わないことを書く作家だという感じなのです。だから読んでいて「へえ」とか「なるほど、確かに」とか「目から鱗が落ちた」なんて思うことまずありません。「この人は僕だ」という感覚なのです。

ただ、今回この本を読んでみてよく解ったことは、この人は僕より遥かにたくさんの本を読んでいるということです。この本は、お題がお題だけに数多くの世界の古典文学を取り上げています。

一方、僕はといえば過去の名作よりも今を生きる同時代の作家の労作を読みたいという気持ちが強い分、古典を読むのは自ずから疎かになります。しかし、だからと言って、この本に取り上げられている小説を僕がほとんど読んでいないのは、僕と彼との読書傾向がずれているということを物語っているのではないはずです。

多分清水は僕が読んでいる現代小説もたくさん読んでいて、僕が読まない時代小説や古典文学も同じくたくさん読んでいて、全体的に僕より遥かにたくさんの量を読んでいる人なのでしょう。でなければこんな本は出せないはずです。

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