Saturday, December 22, 2007

『リボルバー』佐藤正午(書評)

【12月22日特記】 出張の際に空港で買って機中で読んだ。最近出た本かと思ったら、なんと『永遠の1/2』『王様の結婚』に次ぐ佐藤正午のデビュー第3作だった。

主人公の少年が拳銃の構造を調べるためにインターネット上を検索するのではなく、わざわざ図書館に行く辺りが時代を感じさせる。

主人公は高校生の吉川(きっかわ)。たまたま夜の公園で女がやくざ者にいたぶられているところを目撃してしまう。そして見ているところを見つかって彼もまたそのやくざ者に殴られて前歯を折られた。──あいつこんど会ったら殺してやる。吉川少年はそう思う。

その彼が拳銃を拾う。警官を殴り倒して拳銃を奪った男が怖くなって捨てた実弾入りである。

奪われた警官は清水。彼はこの事件を機に警官を辞める。ところがひょんなことから拳銃を手に入れた吉川少年がやくざ者を追って北海道に飛んだことを知り、彼もまた北海道に。そして吉川のガールフレンドである佐伯直子も同行する。

よくまあこんな単純なモチーフで小説を書き始めるなあと思う。けりのつけようにあまりバリエーションがなく、話の展開が見えてしまう。

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Saturday, November 10, 2007

『アサッテの人』諏訪哲史(書評)

【11月10日特記】 芥川賞や直木賞受賞作はあまり読まない(もう少し作家として評価が固まってから読むことが多い)のだが、すこぶる評判が良いので読んでみることにした。

が、自分で読み始めてみるとなんだか「知」が勝ちすぎた小説のように思える。非常に観念的なところからスタートしていて、その分、頭にすんなり入ってこないで少しぎくしゃくしてしまう。

もっとも違和感が特に強いのは冒頭の部分であって、読み進むにつれて、特に叔父の手記が出てきた辺りからはすいすい読めるところから考えると、そのぎくしゃくしたところもまさに作者の狙い通りなのだろうけれど、そうなるとやっぱり「知」が勝ちすぎた小説という最初の感想に戻ってくる。

日常の定型や凡庸から抜け出してアサッテ(ポンパ)に踏み出そうとして、それ以外に自分の生き方を考えられなくなり、結局苦悶のうちに出奔するしかなかった叔父の話なのだが、僕の場合には直近にリチャード・パワーズの『囚人のジレンマ』を読んでいたのが、巡り合わせとして最悪だった。

あの作品もジレンマを抱えた、言わば病んだ父親をめぐる話であるが、あの大著に比べるとどうしても見劣りしてしまうのである。

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Tuesday, November 06, 2007

『村上春樹にご用心』内田樹(書評)

【11月6日特記】 内田樹による村上春樹論──「来たっ!」という感じだった、この本は。

僕は内田樹の本については『ためらいの倫理学』と『下流志向』の僅かに2冊を読んだのみである。でも内田樹ファンを自認するにはそれで充分だと思う。

そして村上春樹の作品は、デビュー以来少なくとも長編は全部読んでいる。いや、それどころか、自分のHPには書いたのだが(長くなるのでここでは書かないが)冗談半分で村上春樹を人生最大のライバルと呼んでいるくらいである。

だから、この組合せには本当に「来たっ!」という感じがあった。内田樹もまた僕と同じ村上ファンだとは全く知らなかったのである。

そして、この本を読むまで僕がもう一つ知らなかったのは、日本の文芸評論家がそれほどまでに村上春樹を毛嫌いし、酷評し、黙殺していたということである。ふーん、そんなだったのか、とちょっと驚いてしまった。

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Thursday, November 01, 2007

『夜明けの縁をさ迷う人々』小川洋子(書評)

【11月1日特記】 『野性時代』に連載された9つの短編が掲載順に並べてある。残念ながらあまり詳しいストーリーは書評に書き辛い。何故ならジャスト・ワン・アイデアで書かれた作品が多いから、少し現実離れしたひとつの特異な設定に基づいて展開されただけの物語が多いから。

もうひとひねり、あるいはもうひと波乱、おかずがもう一品ほしいような感じもする。

しかし、短く単純なストーリーが並ぶとは言え、ここにあるのは紛れもない小説世界、しかもかなり確立した小説世界である。ほんの小さなひとつの特異な設定がここまでの広がりを持ってくるところが、柴田元幸が「台所が異界と繋がっている」と評す所以だろう。

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Friday, October 26, 2007

『囚人のジレンマ』リチャード・パワーズ(書評)

【10月26日特記】 『舞踏会へ向かう三人の農夫』『ガラテイア2.2』に次ぐリチャード・パワーズの邦訳第3弾であるが、書かれた順番としては『舞踏会へ~』に続く第2作である。

いつも思うのだが、パワーズの作品を読むには本当にパワーが要る。難解である、と言うよりバラバラの話が進んでいるようで全体の繋がりが見えないのである。

だから心技体すべてが充実しているときでなければ読み切れない。かと言って一気に読み終えられるような本ではなし、読む日によっては字面を追ってもなかなか頭に入らないこともある。そんな時には読み返すことさえかなりの勇気と決断を必要とすることになる。

普段から読書(しかも長編)に親しんでいる人間でなければとても読める本ではないと思う。しかし、それだけに、何物にも代えがたい大きな読後感を与えてくれるのである。

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Thursday, September 20, 2007

『きみのためのバラ』池澤夏樹(書評)

【9月20日特記】 随分久しぶりに池澤夏樹を読んだ。僕は短編は進んで読まないほうなので、本当なら次の長編小説が出るまで待つはずなのだけれど、なぜだかこの本には魅かれるものがあったのだろう。

あるいは僕の人生が、またそろそろ池澤夏樹を必要とする時期にさしかかったのかもしれない。

そして、久しぶりに読んでみると、やはり池澤夏樹は上手い。

小説の巧さというものを一口に語ろうとしても無理なことで、ならば一口に語ってしまうことは諦めて、その代りに一片だけ切り取って語るとすれば、それは余韻である。

余韻は小説においては小さくない要素で、特に短編においては中心的な要素と言って良いのかもしれない。この短編集にはどの作品にもたっぷりと余韻がある。

余韻が書けるのは人の世の喜びや悲しみを知っている者である。自分の喜びや悲しみなら誰でも知っているが、そこには余韻はない。

他人に触れて人の世の喜びや悲しみを知った者だけが余韻を紙の上に写すことができるのではないか、などと僕は思ったりするのである。

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Wednesday, September 12, 2007

『ウィキノミクス』ドン・タプスコット、アンソニー・D・ウィリアムズ(書評)

【9月12日特記】 正直言ってこの辺の理論に興味のある人にとってはあまり目新しい展開をしてくれる本ではない。ただ、上手にまとめてきれいに整理してくれている(やや長いのが欠点だが)。

紹介されている新しいモデルは7つ──1)ピアプロデューサー、2)アイデアゴラ、3)プロシューマー・コミュニティ、4)新アレクサンドリア人、5)参加のプラットフォーム、6)世界工場、7)ウィキワークプレイス。

4大原則は、1)オープン性、2)ピアリング、3)共有、4)グローバルな行動である。

僕はこの手のICT系のマーケティング論(と十把一絡げにしてしまうと怒られそうだが)の中で一番力強かったのはクリス・アンダーソンの『ロングテール』だと思う。Web2.0であれCGMであれ、あるいはこのウィキノミクスであれ『ロングテール』ほどの単純明快な説得力には欠けているのである。

この本でも、最近の世の中にはこういう傾向があるということを指摘しておいて、こういう企業が生き残り、あるいは発展しているという実例を示してはいるのであるが、では「これさえやっておけば必ずうまく行く」みたいな夢物語であるはずはなく、「淘汰により、たくましいビジネスモデルだけが生き残る」(333ページ)としている。

450~451ページにはこの本で紹介された経験則や教訓が8つにまとめられているのだが、そのうち6つが「場合がある」という記述で終わっている。

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Friday, August 17, 2007

『日本語は天才である』柳瀬尚紀(書評)

【8月17日特記】 この著者のことは知らなかったのだけれど、ジョイスやダールの翻訳者ともなれば只者ではない。英語と日本語の両方の能力、そして言葉遊びの優れた感覚がなければ訳せたものではないだろう。

ところが、この人、一般人から見たらあまりに言語能力が高すぎるのだろうか?

一生懸命言葉で遊んでいるのだが、我々とは少しユーモアのセンスがずれているのか、おかしみが上手く伝わって来ないのである。我々より先に行き過ぎてしまっているということなんだろうなあ。

イギリス人が読んだら大笑いするんだろうか? でも、日本人から見たらちょっと変な学者である。つまらないことで喜び過ぎに見える。しかし、逆にその変さ加減、そのずれ具合が妙に心地良かったりもする。

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Thursday, August 09, 2007

『エロマンガ島の三人』長嶋有(書評)

【8月9日特記】 長嶋有はここのところ僕が贔屓にしている作家で、芥川賞も受賞しているが、世間ではそんなに知られた存在でもないみたいだ。

彼の書いた『サイドカーに犬』が映画化されて、その映画評が載っているサイトを(僕も同じようなサイトをやっているので)いくつか読んでみたら、「自分はこの作家を読んだことはないのだけれど、聞くところによると男性よりも女性に受ける作家らしい」みたいなことが異口同音に書かれていて少し驚いた。

そうか、この作家にはすでにそういう評判が立ってしまっているのだ。

確かに僕は女性の好む作家を好きになる傾向があるかもしれない。あえて差別的な表現を使うと女々しい男なのである。

そして、この作家は特に女性の描き方が巧いと思う。それは単に男性の目から見て巧いと思えるだけかもしれないが、僕が初めて彼の作品を読んだとき、ひょっとしてこの作家は女性なのか(ユウという名前ならどちらもあり得る)と思って調べたくらいである。いくつかの読書系のサイトでも確かに女性に好評を博している印象はある。

しかし、なにせ今回はタイトルがエロマンガである。エロマンガは女性には受けないだろ。「エロマンガ島でエロマンガを読もう」という馬鹿げた企画が通ってしまって、本当にバッグにエロマンガを詰めて旅行に行ってしまうゲーム雑誌の出版社の男3人の物語である。

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Saturday, August 04, 2007

『メタボラ』桐野夏生(書評)

【8月4日特記】 確かこの作家では『OUT』を読んだ。書ける作家だなとは思ったが特段好きにもなれなくてそれっきりになっていたのだが、表紙と帯に惹きつけられて久しぶりに手に取ってみた。

本を開くといきなり何かから逃げてきた男・<僕>。

夜で、ジャングルだ。何から逃げているのかも分からないが、ともかく逃げなければという強迫観念に駆られて傷だらけになりながらひたすら逃げる──そういう緊迫したシーンが描かれている。悪くない書き出しだ。すべてが謎に包まれていて、期待が持てる。

そして、漸く道路に出たところで「独立塾」から逃げてきたという若い男・昭光と出会う。その男と会話してみて、初めて自分が記憶喪失であることに気づく。

ここは沖縄らしい。でも、自分が何をしていたのかはおろか、自分の名前も年齢も思い出せない。昭光と歩きながら記憶がないことを告げると、昭光は<僕>にギンジという名前を与えてくれて、自分も今後はジェイクと名乗ることにすると言う。

──よくデザインされた設定である。謎はあまり解き明かさないまま登場人物に次々と新たな試練を与える。面白い。

そこから暫くずっと面白い。しかし、ギンジが記憶を取り戻し始めてからがあまり面白くないのだ。緊迫感が薄れてくる。そして、そんなことを思いながら読んでいると、分厚い本の残りページ数が随分少なくなっているのに気づき、おいおい、この話はどうやって終わるんだ?と気になってくるのである。と、突然小説は終わってしまう。

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