Sunday, December 25, 2005

『歌謡曲名曲名盤ガイド1970s』高護編集兼発行(書評)

【12月25日特記】 宣伝を見つけたときにもう心は決まっていたのだけれど、やっぱり買ってしまった。

帯に書いてあった宣伝文句を転載すると、

  • フルカラージャケット写真約1700点
  • ディスク・レビュー約1000点
  • 主要歌手別完全ディスコグラフィ掲載

新宿紀伊國屋書店では、ご丁寧にビニールで包んで平積みになっている。

敬愛して止まない高護(こう・まもる)先生が編集発行人なので本屋に行く前から買うことは決めていたのだが、一応買う前に立ち読みチェック。

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Friday, December 09, 2005

『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』ポール・オースター編(書評)

【12月9日特記】 実はまだポール・オースター本人が朗読する付録のCDは聞いていない。何パラグラフかずつ英文を読み、和訳を読み、もう一度英文を読み、最後に脚注を読み、そのようにして漸く巻末にたどり着いた。

これはポール・オースターが出演していたラジオ番組からの出版物である。

オースターがリスナーに物語の投稿を呼びかけた時の条件は2つ:

The stories had to be true, and they had to be short

──ただ、それだけである。この本に収められているのはその呼びかけに応えたあらゆる階層のリスナーからの投稿である。

だから、ここにある文章について言えば、Only a small portion of it resembles anything that could qualify as "literature" である。確かに、(的外れな確信かもしれないが)僕が読んでも「この人、文章下手だなあ」と感じるようなものもあった。一方で、なかなか感動的な文章を書き、巧いまとめ方をしている人もいる。

いずれにしても一般人が書いた文章なので、構文が判らなくなるようなややこしい文章は1つもない。

中には自分と全くかけ離れた生活について書かれた作品もあり、そういう文章には解らない単語が満載である(例を挙げれば、服役していた人の文章がそうだった。「教戒師」とか「仮釈放」とか「手かせ」とか、その手の単語ばかり出てきて原文を読んだだけではさすがにさっぱり解らなかった)。

ただ総じて言えば、難しい単語は決して多くないので、辞書なしでも結構スラスラ読める。そして少しでも難しい単語は全て脚注で解説してあるので辞書を持ち出す必要はなかった。

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Monday, November 21, 2005

『本が好き、悪口言うのはもっと好き』高島俊男(書評)

【11月21日特記】 僕は本来この本のタイトルのような偽悪的な文は好きではない。

悪口を言うことや他人を貶すことを売り物にしてはいけない。偽悪は時として偽善よりも醜悪である。そして、世の中にはその手の醜悪な文章が読者にとって痛快であろうと勘違いしている書き手も少なからずいる。

悪口が痛快であるためには明確なルールがある。もちろん悪口自体に説得力があることが前提ではあるが、それだけでは痛快とは思ってもらえない。必要なのは世の中の弱者・少数派・庶民に対してではなく強者・多数派・権威に対してぶつけるということである。

高いところから「どうだ参ったか」と高圧的に述べるのではなく、驕らず昂らずひょうひょうとしているくらいの態度である。そして、(本書のタイトルは別として)その条件をほとんど満たしているのが、この高島俊男という人なのである。

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Saturday, November 19, 2005

『ノー・セカンド・チャンス』ハーラン・コーベン(書評)

【11月19日特記】

「チェリルがおまえのために夕食をこしらえた。フリーザーに入れてある」
「いい奥さんだな」
「いまだに世界でいちばんの料理下手だ」レニーは言った。
「食うなんていってないよ」

これは上巻の34ページ、小説の導入部分の終盤。銃で撃たれて生死の境をさまよった主人公マークが漸く退院することになり、親友のレニーが手伝いに来た時の会話である(チェリルはレニーの妻)。

こんな減らず口の会話が満載だったのが同じ作者によるスポーツ・エージェントのマイロン・ボライターのシリーズである。7作出て、8作目を心待ちにしていたのだが、コーベンはこのシリーズについては一旦筆を置いたらしい。シリーズものから脱却して最初に書いたのが『唇を閉ざせ』で、この『ノー・セカンド・チャンス』は第3作にあたるらしい。

アメリカン・ジョークをひたすら楽しみに読んでいた僕のようなコーベン・ファンにとって、まず嬉しかったのがこの34ページであった。でも、これはあのボライター・シリーズとは違って減らず口がふんだんに出て来る小説ではない。そこがとても淋しいのである。

ただ、そんな読み方をしているのは恐らく僕以外にはあまりいないだろう。

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Sunday, October 30, 2005

『アースダイバー』中沢新一(書評)

【10月30日特記】 中沢新一と言えば、(『野ウサギの走り』辺りを念頭に書いているのだが)僕にとっては、やたらと難しくて何が書いてあるかイマイチよく解らない、でも、何が言いたいかはよく解る、という不思議な著者だった。

ところが、この本の場合は、何が書いてあるか全部解るし、そうなると当たり前だが、何が言いたいかもちゃんと解る。これは読者としてはありがたいことのはずだが、そうなって来ると今度は「何が言いたいか」ではなく「何が書いてあるか」に引っ掛かってしまうのである。

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Tuesday, October 11, 2005

『東京奇譚集』村上春樹(書評)

【10月11日特記】 冒頭に収められている『偶然の旅人』は「僕=村上」が一人称で語ることを宣言して始まる。

村上が言うには、「不思議な出来事」が「僕の人生にはしばしば起こった」のだが、「しかし僕がその手の体験談を座談の場で持ち出しても」「おおかたの場合、『ふうん、そんなこともあるんですね』あたりの生ぬるい感想で、場が閉じてしまう」のだそうだ。

そんな風に書き始められると、この後に続く話が如何にも村上自身のドキュメンタリーであるかのような印象を与えてしまう。確かにそこに書かれているエピソードは実際にドキュメンタリーであってもおかしくない程度の「不思議な出来事」ではある。しかし、どうもなんだか嘘っぽいのである。

それで僕ははたと気づいたのである。この嘘っぽさこそが村上春樹なのだということに。今まではフィクションであることを前提として読んでいたので気づかなかったのだが、これは事実ですよと書かれて初めて、村上の全作品の外側を共通に覆っている嘘っぽさに気がついたのである。

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Tuesday, October 04, 2005

『アムニジアスコープ』スティーヴ・エリクソン(書評)

【10月4日特記】 ドン・デリーロとリチャード・パワーズとスティーヴ・エリクソン──この3人の米国の作家は僕にとってはどれを読んでも頭がクラクラするという共通点がある。と言ってもエリクソンについてはまだこの本が2冊目なのだが。

誤解を恐れずに書けば、これは恋愛小説である。250ページほどの小説の大半は、現在の恋人であるヴィヴとの暮らしを中心に、主人公の女性遍歴の話で占められている。いろんな女が登場するので、読んでいて誰が誰だったかすぐに解らなくなる。「どう考えてもこれは一度は登場した女だ」と気づいてページを遡ったことが何度もあった。

一人称で語られる主人公はS。かつて作家であり、今は新聞に映画評を書いている。時代と場所は大地震直後のLAである。

彼の頭の中でも心の中でも、あるいは時として肉体の関係においても、彼の女性遍歴は「あの女の次はこの女、その後がこの女」という風に整然と並んではおらず非常に入り乱れているのである。この辺りは記憶喪失(アムニジア)と記憶の意義と弊害を語るこの小説にふさわしい舞台装置になっていると言える。

そして、早くも前言を翻すのだが、これは恋愛小説ではない。恋愛小説と呼んでしまうには余りにも広いフィールドをカバーしているから。

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Wednesday, September 14, 2005

『退廃姉妹』島田雅彦(書評)

【9月14日特記】 『退廃姉妹』と言うからてっきり姉妹揃っての放蕩三昧かと思いきや、そうではない。

確かに妹の久美子は自ら望んで進駐軍相手の売春婦になるが、姉の有希子のほうは出征したまま帰らぬ初恋の人を一途に待ち続け、再会が叶った後もひたすら彼に寄り添い、付き従って行く古風な女である。

姉妹の母は既に死んでおり、映画会社の重役である父親は敗戦後に、戦意高揚の映画を作った罪ではなく、身に覚えのない馬鹿げた嫌疑で軍事裁判にかけられる。大黒柱を失った姉妹は自宅で白人相手の「商売」を始める。

これから読む人のために詳しくは書かないが、久美子以外に縁あって2人の女が「従業員」に加わる。有希子は当然それに直接は加担しないが、いわば経営者または事務員的な立場を務めながら愛しい人の帰りを待つ──まあ、こんなところが小説の序盤である。

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Thursday, September 08, 2005

『幸福な食卓』瀬尾まいこ(書評)

【9月8日特記】 しまった!島本理生『ナラタージュ』に続いて、またこんな本を選んでしまった、というのが読み始めた直後の感想だった。若い作家にありがちなことなのだが、文章がどことなくぎこちないのである。文章の向こうに考えながら書いている作家の姿が透けて見えるのである。

人工的な人物造形である。なにやら実態に乏しい。自殺未遂をしたという父親にしても、なぜ自殺をしようというところまで追い込まれたのか深く書かれていない、というよりも、父親自体があまり深い傷を負うこともないまま突然自殺未遂に至ったようにも読める。

その父親が朝の食卓で「父さんは今日で父さんを辞めようと思う」と宣言するのが、この連作小説の1行目である。なんとも現実感の希薄な世界である。

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Sunday, September 04, 2005

『禁じられた楽園』恩田陸(書評)

【9月4日特記】 夏だし、まあこんなのも良いかなと思って買ってみたのだが、僕が恩田作品で好きなのは『黒と茶の幻想』、『木曜組曲』、『夜のピクニック』あたりなので路線としてはちと違う。

とは言えやっぱり文章がしっかりしているから巧い具合に引き込まれて作家の思う壺に嵌ってしまう。ストーリーを考えるだけで面白い作品が書けるわけではなく、それをどのように小出しにして読者に情報を与えて行くかが鍵だということがよーく解る。

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