Monday, December 05, 2022

『少女を埋める』桜庭一樹(書評)

【12月5日 記】 これは却々難しい本だ。いや、難解だという意味ではない。自分の読み方に戸惑いが生じるという意味だ。

内容も時系列も繋がった3篇を収めた短編集なのだが、最初の「少女を埋める」は一言で言うと自伝的小説ということになる。読んでいて、これは創作なのかノンフィクションなのか区別がつかなくなる。いや、区別をつけるべきなのかどうなのかが分からなくなる。

作家になって東京で暮らしている冬子(=「わたし」)は父の最期を看取るためにコロナ禍中の故郷鳥取に戻ってくる。そこにはずっと前からの自分と母との間のわだかまりがあり、そして、その土地には冬子には耐え難い固陋な考え方と因習が色濃く残っている。

そこに象徴的な逸話として、町一番の美人として有名だった少女を攫って城壁に埋めたという昔話が挿入される。

そこで語られるのはそんな田舎に対する冬子の嫌悪感、と言うよりも、そういう空気に触れることによる憔悴である。彼女は東京の人たちとの電話やメールでのやり取りでかろうじて気を取り直す。

東京の知人たちの価値観、感覚が、弱った心を救ってくれると感じる。

その感じはよく分かる。

正論は理不尽なことから救ってくれる。だから、大好きだ。

人によってはこれを極論と思うかもしれない。しかし、これも僕にはよく分かる。整然とした理論に対する信頼感。

わたし、流行って好きだな。文化であり、町のアートであり、わたしたちがいまこの都市で生きていることそのものの喜びの表現だと思う。

田舎の人から見ればこれも一方的な都市礼賛に見えるかもしれないが、これもよく分かる。古い倫理観や価値観から解放された安心感みたいなもの。

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Saturday, December 03, 2022

Netflix & Amazon Prime 鑑賞記録

【12月3日 記】 前に一度、自分用の備忘録として Netflix の鑑賞記録をここにアップしたが、そこに Amazon Prime Video も書き加えて更新した(★はオリジナル作品)。

先ほどちょうど『ペリフェラル』The Peripheral のシーズン1(全8話)を見終わったところ。

めちゃくちゃ面白かったけど、あまりに複雑で難しくて、観ていて頭がクラクラした。見終わってから改めて「海外ドラマブログ」のネタバレページを丹念に読んでやっと分かった、と言うか、未だに理解できないとこもあると言うか(笑)

一応見終わったもの(次のシーズンが予想されるものも含む)だけを記録することにしたので、ここには書いていないが、Netflix では今『ザ・クラウン』The Crown『ウェンズデー』Wednesday を並行して観ている。

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Wednesday, November 30, 2022

綾瀬はるか対長澤まさみ

【11月30日 記】 世間でそういう捉え方をしている人はあまりいないと思うが、僕は綾瀬はるかと長澤まさみをライバル視している。いや、僕が2人の女優を自分のライバルだと思っているという意味ではない(笑)

綾瀬はるかと長澤まさみがお互いにライバル関係にあると捉えているということだ。

それは2人がまだ随分若かった頃に同じ役を演じたからだ。

同じ役を演じればライバルなのかと言うと必ずしもそうではない。例えば今年の3月に舞台で『千と千尋の神隠し』の主役・千尋をダブルキャストで演じた橋本環奈と上白石萌音がライバルかと言えば、そんな感じはしないだろう。

橋本環奈が福岡の地元芸能事務所から『週刊ヤングマガジン』のグラビアを経て売れだしたのに対して、上白石萌音は東宝シンデレラの特別賞出身だ。その年のグランプリは妹の萌歌が受賞しており、イメージとしては彼女のライバルはむしろ上白石萌歌なのかもしれない。

いずれにしても橋本環奈と上白石萌音ではタイプも相当違うし、そもそも『千と千尋』をやった時には2人ともすでにかなり売れていた。だから、この舞台をきっかけにライバルというイメージが生まれたりもしなかったのだろうと思う。それに、僕はその舞台を見ていないのだから、それで2人をライバル視するはずもないし。

それに対して、綾瀬はるかと長澤まさみはともにデビューしてまだ日が浅く、名前もそれほど売れていなかった時期に『世界の中心で、愛をさけぶ』の主役を務めた。白血病で亡くなる少女・廣瀬亜紀の役だ。

その2つを僕は両方とも観た(ともに2004年)。そのことによって、僕の頭の中に「2人はライバル」という図式がしっかりと描かれてしまったのだ。

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Monday, November 28, 2022

【note】 新海誠、稲田豊史、平山瑞穂の作品から“共感”を考える

【11月28日 埋】 note に上げた記事をシェアしておきます:

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Saturday, November 26, 2022

映画『あちらにいる鬼』

【11月26日 記】 映画『あちらにいる鬼』を観てきた。大好きな廣木隆一監督なのだが、内容的にどうにも観る気が起こらなくて先延ばしにしていた作品。脚本は荒井晴彦。

井上光晴と井上の妻、そして当時井上と不倫関係にあった瀬戸内晴美(のちの寂聴)の3人をモデルにして井上荒野が書いた小説が原作。いずれの作家も僕は読んだことがない。しかし、なんで井上荒野がこの3人を取り上げたのか不思議だったのだが、彼女は井上光晴の長女だそうな。知らなかった。

とは言え、これは小説である。ここでは井上光晴は白木篤郎(豊川悦司)であり、瀬戸内晴美/寂聴は長内みはる/寂光(寺島しのぶ)なのだ。

だから、ここで描かれたことが必ずしも実際にあったことではないはずだ。ましてやこの2人に肉体関係があったときには荒野はまだ幼い子供である。彼女が全てを認知できたはずがない。

ただし、両親亡き後これを書くにあたって荒野は瀬戸内寂聴のもとに通ってかなりの取材をしたとのこと。個々のエピソードの真偽は分からないが、全体像としては多分このような世界だったのではないかなと想像できる。

白木はにべもない言い方をすると女癖の悪い男だ。当時の考え方からすると妻にするに最高な女性・笙子(広末涼子)と結婚していながら浮気を繰り返す。映画は白木の妻が白木に言われて(ただし、言われるところは描かれていない)、自殺未遂を図って入院している白木の愛人(蓮佛美沙子)を見舞いに行くところから始まる。

講演会でみはると一緒になった白木は初めて会った瞬間からみはるの着物を褒め、トランプ占いをしてやるなど、気があるのは見え見え。一方みはるのほうも、まずは作家としての井上の筆力に感服し、自分も若い男(高良健吾)と同棲中であるにもかかわらず、次第に井上に惹かれて行く。

一方笙子は夫の悪行にもちろん気がついてはいるが、決して咎めはしない。夫を受け入れ、そして夫が愛した女たちにある種のシンパシーを感じているフシさえある。とりわけ夫と長年の関係にあったみはるにはそうだった。

みはるも白木を妻から奪おうなどとは考えもしなかった。ときには他の若い男とゆきずりの関係になったりもしたが、しかし、そのことと白木への一途な思いは矛盾しなかった。

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Thursday, November 24, 2022

Amazon『仮面ライダー BLACK SUN』全10話

【11月24日 記】 Amazon Prime Video の『仮面ライダー BLACK SUN』全10話を見終わった。

最初のリリースを目にしたときに、僕は仮面ライダーの純粋な新作だと思った。へえ、西島秀俊がやるのか。中村倫也も出るのか。え、監督は白石和彌か、すごいな。で、脚本は高橋泉!──これはしびれた。

高橋泉は監督・脚本・編集・出演のデビュー作である『ある朝、スウプは』(2005年)の時からずっと高く評価してきた脚本家である。

そして、美術監督が今村力というのもすごい。

そんなことを思いながら読んでいたら、これは新作ではなく、タイトルから分かるように、1987年から1988年にかけて、毎日放送を発局として日曜の午前中に全国放送していた『仮面ライダーBLACK』のリブート作品であると分かって驚いたのである。

なぜなら当時の同局の営業担当が僕だったからだ。

あくまで担当営業マンだから制作内容には関わっていない。だが、折に触れて撮影現場には顔を出していたし、主役の倉田てつをが選ばれたオーディションにも同席していたし、当然放送は(次のシリーズである)『仮面ライダーBLACK RX』も含めて全回観ている。

しかし、いつもいつも書いているように、僕は何を観ても何を読んでもほとんど記憶に残らない。だから、今回も記事を読みながらすぐに気がつかなかったわけだが、主人公の南光太郎という名前には記憶があったのである。え? これは仮面ライダーBLACK ではないか!と。

すると、西島秀俊が演じる南光太郎に続いて、中村倫也が演じる敵役の秋月信彦という名前が記されていた。この名前も一気に記憶が甦った。そして、確か南光太郎が BLACK SUN で 秋月信彦が SHADOW MOON ではなかったか?

これらの名前を全部引き継いでいたのだ。そして、もう一度頭から記事を読み直すと、ちゃんとリブート作品と書いてあるではないか。見落としていた。

リブートという単語が何を指すのかは明確ではない。でも、登場人物と設定をかなり引き継いでいることは確かだ。しかし、BLACK では同年輩だったはずの2人が、西島と中村では年齢が違いすぎるではないか? ──この辺りは本編を観て初めて分かることである。

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Wednesday, November 23, 2022

映画『ある男』での小籔千豊の役柄について

【11月23日 追記】 映画『ある男』で小籔千豊が演じていた役柄について書いてみたい。城戸(妻夫木聡)の同僚(恐らく事務所の共同経営者)であり弁護士の役である。

原作にこういう人物は出てきただろうか? 度々書いているように、僕は何を読んでもすぐに忘れてしまうので、小説の中にもしっかり出てきていたのかもしれない。しかし、ここまでくっきりとキャラが描かれてはいなかったのではないだろうか?

小籔が演じた中北は、彼が演じるに相応しい、ややちゃらんぽらんな男である。主人公の城戸は映画の中の台詞にもあるように「人権派の弁護士」であり、真面目な男として描かれている。

それに対して、裁判に勝った依頼人が「先生のおかげです」と菓子折りか何かを渡そうとしたときに、城戸は一旦軽く辞退の姿勢を見せるのだが、横から「ほな、ありがたくいただいておきます」と受け取ってしまうのが中北だ。

そんな風にして誰かにもらったり、城戸が出張先で買ってきたりしたお菓子などを、中北はちょっといじましく食べて、ちょっと無邪気に喜ぶ。そういう男である。

そして、失踪した本物の谷口大祐(仲野太賀)の元恋人の美涼(清野菜名)を城戸が連れてきた時には、既婚者の城戸に「デートか? べっぴんさんやなあ。心配せんでも俺は口が堅いから」などと言って、城戸を肘でつつく。そういう男である。

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Tuesday, November 22, 2022

映画『ザリガニの鳴くところ』

【11月22日 記】 映画『ザリガニの鳴くところ』を観てきた。洋画は大抵後回しにしている僕がいち早く観たのは原作を読んでいたからだ。動物学者ディーリア・オーエンズによる同名の小説は全米ベストセラーになり、日本でも評判になった。

この話が新鮮(と言うと表現が悪いが)だったのは、僕らはアメリカにおける差別と言うと大体が黒人を迫害する白人とか、あるいは居留地に追いやられたネイティブ・アメリカン(昔で言うアメリカン・インディアン)みたいなイメージが強いのだが、ここで描かれるのはノースカロライナの湿原地帯に一人暮らしをしている極貧の白人少女だということである。そして、その“湿地の少女 = the marsh girl” を街の白人たちが徹底的に忌避する物語なのだ。

僕は原作を読んで、ああ、そうかこういう世界もいっぱいあったんだ、と不明を恥じた。ともかくこれはべらぼうなストーリーであり、読み進むに連れて主人公のカイアが不憫で不憫でたまらなくなる。

一時は両親や兄姉たちと幸せに暮らしていたのだが、アルコール依存症で暴力を振るう父親にたまりかねて、まずは母親が、そして、兄や姉たちも家を出てしまい、残されたのはカイアと父親だけになってしまう。そして、その父親もある日出かけたまま帰ってこなかった。

そこから、カイアが必死に生きて行く姿が描かれる。学校にも行っていないので読み書きができないのは当然として、誰もいなくなった家にはお金も食料もほとんど残っていなかったのだ。この想像を絶する環境を、残念ながら2時間の映画では、それほど時間をかけて描いている暇はないのである。

他にも例えば映画では冒頭から幼いカイアがひとりでモーター付きのボートを操舵しているが、このボートの操縦方法を気まぐれで強権的な父親から教わるまでにも相当な苦労があったし、家にはわずかばかりのトウモロコシ粉が残っていたのだが幼い少女にはどうやって食べれば良いのかが分からなかったりして、ともかくあんまりと言えばあんまりなのである。

そんなカイアに唯一手を差し伸べたのが湖沼の畔で雑貨店を営んでいる黒人夫婦のジャンピンとメイベル、そしてカイアと同じように湿地の自然を愛する少年テイトだった。カイアが文字を教わったのも、後に彼女が書き溜めてきた動植物のイラストを出版社に送ることを提案してくれたのもテイトである。そして2人は淡い恋に落ちる。

この2人が最初は直接に会わずに、お互いに拾ってきた野鳥の羽を切り株に置いて何度か交換するのだが、映画では当然それほどの時間は取れず、このものすごくリリカルで美しい初恋の描写がやや薄くなっているのも残念ではある。

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Monday, November 21, 2022

悪ティビティ

【11月21日 記】 iOS が 16.1.1 に上がって、iPhone にアクティビティ というアプリが実装されたが、肚が立って削除してしまった。

最初に「ヘルスケア・アプリとリンクするか?」とか何とか訊かれて何も考えずにイエスをタップしてしまった僕が悪かったのかもしれないが、こいつは本当に余計なことをしてくれる。

僕のアクティビティを計測して、勝手にヘルスケアに書き込むのである。

しかし、僕の場合を言うと、僕は iPhone を大概肌身離さず持ち歩くほうだが、運動をする時には 100% どこかに置いている。いや、運動どころかちょっとした軽作業(例えば風呂掃除など)をする時にもポケットから出してどこかに置いている。

胸ポケットなどに入れていると体を動かした時に落とす可能性が大だし、ズボンのポケットだと(特にデニムを履いていたりすると)突っ張ったり引っ掛かったりして動きにくいからである。

だから、僕の場合、このアクティビティは活動性の低い活動だけを計測して集計してくれることになる。しかも、それを自動的にアクティビティに書き込んでくれる。

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Sunday, November 20, 2022

映画『ある男』

【11月20日 記】 映画『ある男』を観てきた。

石川慶監督は特に好きな監督だというわけではないが、とても精緻な映画を作る人だ。この作品もしっかりと作り込まれている。

この作品については、僕は平野啓一郎の原作を読んでいる。と言っても、何を読んでも何を観てもすぐに忘れてしまう僕のことだから、例によってあまり記憶は残っていなかったのだが、今回は映画館に行く前に自分の書いた書評を読み直してみた。

そうそう、あれは該博な知識と多様な問題意識をぶち込んだべらぼうな小説だった。あのとき僕は「実際は彼は誰だったのかという謎を、読者を焦らせながら作家が解き明かして行くような小説ではない」と書いている。

それだけにこの映画化は、下手をすると原作の筋をなぞるだけのものになってしまうぞ、と心配したのだが、しかし、映画を観るとそれが全く杞憂であったことが分かる。長い話をよくここまでコンパクトに、そして芯を外すことなくまとめたと思う。脚本は向井康介だ。

この小説はちょっとトリッキーな構造になっていて、この小説の書き手である作家がとあるバーで初対面の男から身の上話を聞くところから始まる。しかし、そんなところから描いているととても2時間では終わらない。

映画のほうは、壁に掛かった絵の短いカットのあと、離婚して息子を連れて宮崎に戻ってきた里枝(安藤サクラ)が実家の文具店で泣いているシーンから始まる。

そして、この街にふらっとやってきた男・谷口大祐(窪田正孝)が雨の日に画材を買いに来る。やがて、2人はつきあうようになり、そして結婚し、里枝の連れ子・悠人(坂元愛登)の下に女の子も生まれ、家族4人が幸せに暮らしている。

しかし、ある日、林業に従事していた大祐が大木の下敷きになって死んでしまう。そして、その1年後、話を聞いてやってきた大祐の兄・恭一(眞島秀和)が遺影を見て、「これは大祐ではない。別人だ」と言い出す。

それで、里枝は離婚調停の際に世話になった弁護士・城戸(妻夫木聡)に調査を依頼する。──そんな筋だ。

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Saturday, November 19, 2022

【note】 コミュニケーションが面白くなってきた

【11月19日 埋】 ここんとこ全く貼っていませんでしたが、久しぶりに note に書いた記事をエンベッドしておきます。

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Friday, November 18, 2022

面白いものを観る

【11月18日 記】 会社をやめてから本格的に Netflix を観るようになった。最近では Amazon Prime Video も結構観ている。

そんなことを書くと、テレビよりも配信のほうが面白いという議論に持って行こうとする人がいるけれど、そんなことが言いたいわけではない。

だからと言って、いやいや、テレビもまだ捨てたもんじゃない、などと続ける気もない。

何で観るかということについては別に何の思いも持っていないということだ。

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