Saturday, June 14, 2025

映画『フロントライン』

【6月14日 記】 映画『フロントライン』を観てきた。

この映画の情報に触れて最初に思ったのは、へえ、関根光才監督ってこんな映画撮るんだ!ということだった。

元々は広告映像の作家で、僕が最初に観たのは趣里の全裸以外はあまり評判にもならなかった『生きてるだけで、愛』で、その次が目も眩まんばかりに幻想的な IMAXショートフィルムの『TRANSPHERE』、そしてその次が認知症の父と娘を描いた『かくしごと』だった。

今回は硬派な社会ネタである。

僕は映画が事実に基づいているという宣伝文句には全く惹かれない。だが、コロナ禍もひとまず治まり、そろそろ誰かがあの時のことを描いても良い時期、いや、誰かが描いておくべき時期に来ているんだろうなと思っている。

それができるだけ事実に忠実であろうとして作られたものであろうが、概ね事実に基づいてはいるが映画として成立させるためにアレンジしたり、時には盛ったりしたものであろうが、あるいは当時の設定や状況だけを借りて新たに構築された完全なフィクションであろうが、そんなことはどうでも良い。

大切なのは、あのダイヤモンド・プリンセス号のような、誰も予期していなかった大惨事に直面すると、多くの人がまともでない判断をしてしまうのだということを描いておくことである。

問題なのは、その判断が結果として正しかったか間違っていたかということではない。まともな思考の経路を経てまともな判断ができていたかどうかということである。

そして、パニック状態では多くの人がまともでない判断をしてしまい、ごく少数のまともな判断ができた人たちも時として彼らに押し流されてしまうということである。

そういう意味で、この映画は本当によく描けていた。まともな判断とは何なのかということにまともに向き合って、まともに描ききっていた。

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Friday, June 13, 2025

映画『ドールハウス』

【6月13日 記】  映画『ドールハウス』を観てきた。これはもう、内容がどうとかいうことではなく、ほぼ6年ぶりの矢口史靖監督ということで、居ても立ってもいられなくて見に行ったという感じ。

しかし、今回はホラーと来たか!と驚いたのだが、実はテレビではこれまでに『学校の怪談』シリーズで3作も撮っていたのである。全く知らなかった。

そんな矢口が「知り合いの新人脚本家が書いた」と嘘をついて渡した脚本が映画会社の上のほうまで上がって、「これは一体誰だ!」と大騒ぎになり、最後は誤魔化しきれずに「自分が書いた」と白状したのがこの脚本だと言う。

元々怖いものは好きだったが、この映画を撮るには自分の名前があると邪魔になると思ったからだそうだ。なるほどと思った。

娘を亡くした母親がある日骨董市で日本人形を見つけて魅入られたように買い、そのことによって立ち直り、やがて次女を産み育てるが、そこから人形が呪われた動きをし始め…というような筋であることは予告編を見て知っていた。

冒頭は小さな子どもたちを連れた母親たちが道路の真ん中で集っておしゃべりをしている、いかにも平和な住宅街の図である。おお、そんなところから描き始めて間に合うのかと心配になったが、途中何度か時間を飛ばして辻褄を合わせてきた。

主人公の佳恵を演じたのは長澤まさみ、その夫で病院勤務の看護師である忠彦を瀬戸康史が演じている。

パンフレットを読むと、怖がらせるための仕掛けが随所にあったことが分かるが、でも、全体としては、ホラーとしてそれほど目新しい怖がらせ方があったわけではない。定番の、怖い顔が画面全体に突然アップで映るとか、不吉な感じが漂い始めると、カメラが速くもなく遅くもない速度で人物に寄ってくるとか、そんな感じである。

しかし、扱っているテーマが人形である。人形というのは昔から怖いのだ。特に日本人形は。

僕が幼少の頃、僕の家にもケースに入った日本人形が飾ってあったが、僕は家の中に人形があるのがなんか怖くてずっと嫌だった。

その人形の、当たり前なのだけれど無表情をカメラで映すだけで、僕らの背筋は凍りつく。目も口も動かず、表情が変わらないから余計に怖いのだ。

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Wednesday, June 11, 2025

『浮世絵現代』展(東京国立博物館表慶館)

【6月11日 記】  昨日東京国立博物館の表慶館で『浮世絵現代』展を観てきた。ちなみに写真撮影 OK の展覧会だった。Photo_20250611165701

里中満智子、池田理代子、安藤モヨコ、水木しげる、石ノ森章太郎、ちばてつや、楳図かずお、山藤章二、さいとうたかお、池上遼一ら新旧の漫画家だけでなく、黒川紀章、横尾忠則、草間彌生らアート界の大御所たち、さらに和田誠、ビートたけし、安彦良和ら僕らがよく知っている人もいれば、名前は全然知らなかったけれど世界的に認められているらしい世界中のアーティストたちが、あくまで自分たちの感覚と解釈で新たに描き上げた現代の浮世絵の数々が展示されていて、全く飽きなかった。

そして、作品そのもの以外で非常にインパクトが強かったのが、ところどころに添えてあった浮世絵の作り方についての詳しい解説である。

浮世絵というものがどういう手順で作られるのか全く知らなかったわけではないのだが、具体的な説明文や行程を収録したビデオに触れると、ひとつには「よくまあこんな面倒くさいことをやるなあ」と、そしてもうひとつには「よくまあこんなに精緻にできるものだ」という驚きにあらためて襲われる。

とかく絵師ばかりが脚光を浴びるが、浮世絵はあくまで絵師、彫師、塗師、版元の4者の共同作業であるということがよく分かる。

そう言えば、NHK の大河ドラマ『べらぼう』でも前々回の放送で、元の絵は同じなのに、版元の適切な指示によって塗師が絶妙に彩色したものとそうでないものの仕上がり具合の違いを見て、歌麿(染谷将太)が驚くシーンがあったばかりだ。

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Tuesday, June 10, 2025

ポスト・アイドル歌謡曲

【6月10日 記】 一昨日書いた記事の続き。

21世紀になってアイドル歌謡というジャンルがなくなったかと言えば必ずしもそうとは言い切れないのだが、しかし、坂道系を最たるものとして、アイドルはかなりグループ化の様相を呈している。ひとりで歌って下手さを露呈する例はかなり少ない。

昔みたいに女優で歌を出している人がいないかと言えばいるのだが、昔みたいに歌が下手くそなのになりふり構わずデビューさせたような例は少なくなっているのだ。

例えば、歌う女優としては高畑充希とか、池田エライザとか、上白石萌歌とか、みんな聴くに耐える歌唱力がある。もうちょっと古いところではフォルダー5のメンバーだった満島ひかりもいる。

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Monday, June 09, 2025

映画『見える子ちゃん』

【6月9日 記】  映画『見える子ちゃん』を観てきた。僕が勝手に「中村器用監督」と呼んでいる中村義洋監督。これまで映画館で 17本の作品を観てきた大好きな監督なのだが、劇場用映画を観るのはなんと5年半ぶりである。

1999年からは『ほんとにあった! 呪いのビデオ』シリーズを中心としてホラーの作品がとても多くなっていたが、僕はこの人がホラーに特化してしまうのはものすごく勿体ないと思っている。

この映画を見れば、この監督の物語構成力がどれだけ卓越しているかがよく分かると思う。

原作漫画はあるものの、原作者の信頼も得て、中村監督オリジナルの人物や展開も加えて、まさに青春ホラー・コメディと言うべき、とても素敵な作品に仕上がっている。

ともかく、話のまとめ方がとてもきれいなのだ。よくぞこんなにきれいにまとめたものである。

誰が脚本を書いたのか知らずに観たのだが、エンドロールが始まる前に、これは中村監督自らが手掛けた脚本に間違いないと確信した。この手際の良さ、爽やかで鮮やかな終え方は中村脚本ならではである。

今回は監督が仕込んだいくつかの仕掛けに、僕は途中で何一つ気づかないままラストまでなだれ込んでしまったが、問題は読み切れるか読み切れないかではない。仮に早い時点で全部読み切れたとしても問題なく楽しめたと思うし、読後感も変わらなかったと思う。

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Sunday, June 08, 2025

アイドル歌謡曲

【6月8日 記】 『ひとりっ子甘えっ子』という歌があった。筒美京平による 1973年の名曲で僕はめちゃくちゃ好きなのだが、オリジナルでは二度と聴きたくない。何故なら歌っていたのが浅田美代子だったからだ。

浅田美代子の歌をリアルタイムで聴いてきた人だったら皆同じように思うのではないかと思う。浅田美代子自身は「音楽の成績は5だった」と言っているが、少なくとも彼女が出したレコードについて言えば、どれもこれも、誰がどう聞いても聞くに耐えないぐらい下手だったから(ちなみに女優・浅田美代子は好きである)。

誰か巧い歌手がカバーしてくれないかな、そうしたら音源を入手するのに、と思う。

これは彼女のセカンド・シングルだが、同じく筒美京平が作曲して大ヒットした彼女のデビュー・シングル『赤い風船』(1973年)も名曲で、こちらは数多くの歌手がカバーしている。

とりわけ僕は the Indigo によるカバーが好きで(そもそも the Indigo というグループを高く評価しているからでもあるのだが)、音源も手に入れている。

こんな風に昔の名曲が、良いアレンジ、巧い歌唱でどんどんカバーされれば良いのになと思う。

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Saturday, June 07, 2025

映画『ぶぶ漬けどうどす』

【5月23日 記】  映画『ぶぶ漬けどうどす』を観てきた。冨永昌敬監督目当てで観たのだが、期待を裏切らないひねくれた(笑)映画だった。

僕自身は実際に言われたことはないが、「ぶぶ漬けどうどす?」は京都人のイケズさ = 意地の悪さを表すために(「いや、意地の悪さなんかじゃなくて、これが京都の文化であり、その文化を体現した奥の深い表現なのだ」などと言う人もあるかもしれないが)よく引用される決まり文句である。

この映画の主人公・澁澤まどか(深川麻衣)は、まさに「ぶぶ漬けどうどす?」と勧められたら、にこやかに「ありがとうございます」と言って上がり込み、本当にお茶漬けをごちそうになって顰蹙を買うような、一時大流行した表現を使うと KY な女性なのである。

結婚して京都で 450年も続いている老舗扇子店“澁澤扇舗”の長男の嫁となったまどかは、安西莉子(小野寺ずる)と組んでコミック・エッセイを書いている。まどかがストーリー担当、莉子が描画担当である。

冒頭のシーンはまどかが夫の真理央(大友律)とともに彼の実家を訪れるところから始まる。単なる帰省ではなく、まどかは夫の実家や他の京都の老舗を取材してコミック・エッセイにしようという魂胆である。

で、まどかがに店に入って来て義父母(松尾貴史、室井滋)が彼女を迎えたシーンからすでに、彼らの対応はとても柔らかなのに、変な緊張感、うっすらとした不安感、何かが起きそうな不吉な感じがみなぎっている。

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Thursday, June 05, 2025

In due time

【6月5日 記】 「嘘はどうせすぐにバレるから」みたいな文脈で、「すぐに」を in no time と言ったら、中国系アメリカ人の先生に「in no time より in due time のほうが的確だ」と言われた。

なるほど、確かに in no time だと単なる「すぐに」だ。「どうせ」のニュアンスを出そうとすると、in due time のほうが相応しい気がする。

もっとも、辞書を引いても in due time に「どうせ」なんて訳語はついていない。一般的には「そのうちに」「やがて」みたいな訳語が充てられる。

でも、「どうせ」みたいなことを言いたい文脈で、「どうせ」みたいなニュアンスを匂わせるために in due time が使われる局面もあるということだ。その場合には「いずれ」みたいな訳語も良いかもしれない。

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Monday, June 02, 2025

『楽しい音の鳴るほうへ』和田博巳(書評)

【6月2日 記】 和田博巳と言えば僕にとってははちみつぱいのベーシストであって、その他の彼のキャリアについては何も知らなかった。

この本の中で彼は自分のベースを下手だ下手だと言っているが、僕は全く下手だとは思っていなかった(まあ、よっぽど下手なら別だが、そうでなければ僕にそもそもベーシストの巧拙なんか分からないのも確かだが)。

はちみつぱいは(随分後にライブ・アルバムも何枚か発売されたりはしたが)アルバムを1枚だけ出して解散したバンドだから、僕が彼の演奏を聴けたのは『センチメンタル通り』に収められた9曲(復刻版CD のボーナス・トラックを含めても 11曲)だけなのだが、そのいずれの演奏においても僕は彼のベースの音運びが確かに好きだった。

はちみつぱいが解散すると、少なからぬメンバーがムーンライダーズのメンバーとなったわけだが、それ以外の人たちもいろんな新しいバンドのメンバーとなったり、スタジオ・ミュージシャン/バック・ミュージシャンとしていろんなアルバムで名前を見かけたりする中で、和田博巳だけは全く名前が見つからず、この人はどうしたのかな?音楽をやめちゃったんだろうか?などと怪訝に思っていた。

しかし、しばらくするとプロデューサーとして彼の名前を見つけて、ああ、まだこの人は音楽界隈にいたんだと思ったりもした。

しかし、この本を読むまで、最初はロック喫茶の店主であり、最近ではオーディオ評論家として活躍しているなんてことは全く知らなかった。

北海道の山奥で育った彼は、東京の大学を受験すべく東京に出てきた。

しかし、受験に失敗して大学に行く気がなくなり(と言うか、予備校に通い始めてすぐに進学する気がなくなっていた)、ジャズ喫茶に通い、やがてそこでアルバイトの職を得て、そしてある時、父親に資金援助を請うてジャズ喫茶のオーナーとなり、しかしすぐにジャズ喫茶では食えないと思ってロック喫茶に転じたら、それが時代の趨勢と合致して結構流行り、梁山泊よろしくそこにいろいろなミュージシャンや音楽関係者が集まり、そして、彼がいつしかプロのミュージシャンとなって行く姿がビビッドに、そしてあっけらかんと書かれている。

副題にあるように、ここで主に描かれているのは 1967年から 75年、和田は 1948年生まれだから、彼が 19歳から 27歳までの時代である。

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Friday, May 30, 2025

映画『か「」く「」し「」ご「」と「』

【5月30日 記】 映画『か「」く「」し「」ご「」と「』を観てきた。

主演が奥平大兼と出口夏希、原作小説が『君の膵臓をたべたい』の住野よる ── と話題に事欠かないが、僕が観に行ったのは監督・脚本の中川駿が目当て。長編デビュー作の『少女は卒業しない』がかなり良かったので。

で、誰でもまずこの特異な設定に目が行くと思う。そこで引っかかってしまって「ありえない」とか「ここまでやられると白ける」とか言う人もいるだろうし、僕の場合は2つ目の設定が明かされる直前に「ああ、きっとそうなんだろう」と予測がつき、その直後に全部でいくつの設定があるのかまで読み切ってしまった。

しかし、この映画、ポイントはそこではない。そんなところに引っかかってはいけない。ストーリー上も大きな要素に見えて、しかし、決して決定的な要素ではないのだ。

学園ドラマである。同じ高校の男子生徒2人、女子生徒3人の群像劇である。

京(奥平大兼)は、ひと言でばっさり言ってしまうと、とんでもないヘタレだ。ミッキー(出口夏希)のことが気になっているが、何もしないで諦めている。そして、京には人の気持が読めてしまうというのが第1の設定である(ここまでは予告編で明かされている)。

ミッキーは天真爛漫な不思議少女。出口夏希自身が「今まで演じた役の中でも自分とすごく似ている」と言っているところが興味深い。

ヅカ(佐野晶哉)はすごく気さくで良い奴なんだけれど、その一方で何を考えているのか読みにくいところがある。

パラ(菊池日菜子)は行動力抜群でしっかりとした女の子。エル(早瀬憩)は引っ込み思案の優しい女の子。

この5人の織りなす、五人五様の感情の移ろい、そして、それを演じた5人の俳優たちの見事に繊細な演技 ── それこそがこの映画の真髄だと思う。設定の奇抜さではなくまずそこを見てほしい。ありえない設定の上に、めちゃくちゃリアルでリリカルな世界が見えてくるから。

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Thursday, May 29, 2025

引き落としチェック

【5月28日 記】  結婚したときに妻に「カードの請求が来たら毎月チェックしないとダメよ」と言われて、それまでそんなことはちゃんとやって来なかったのだけれど、「あ、そうか」と思って、それ以来毎月しっかりチェックしているのだが、気がついたらチェックしているのは僕だけで妻は一切やらないので驚いた。

ま、そんなことは大したことではない。そういう作業に適性があるのは妻ではなく僕のほうだ。彼女が使っているのは家族会員カードだけなので、その請求も合わせて僕のところに来るわけで、僕が毎月しっかりチェックしていれば我が家は安泰である。

しかし、昔使っていたのは1枚か2枚のクレジットカードだけだったのが、1つのサービスが1つのカードと紐づいているケースもあってやむなく加入するカードも出てきて、さらに近年ではさまざまなキャッシュレスの支払いも増え、しかもそういうのを結構使っているので、チェック作業が煩雑になってきた。

それに加えて、いろんな支払いサービスが相互に結びついたおかげで、1件の購入に対して何通もの利用通知が飛んでくるので、はなはだややこしい。

支払いと利用通知メールが1対多の関係なのである。

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Wednesday, May 28, 2025

YouTube『last scene』

【5月28日 記】  是枝裕和監督が iPhone 16 Pro で撮影した『last scene』を YouTube で観た。

驚いた。iPhone (といくつかの追加機材)だけでこれだけ豊かな映像表現ができるのか、と。

27分余りの短編なので、そんなに複雑な筋運びはできない中で、「下手な脚本を書いてしまったことで未来の社会ではテレビドラマががなくなってしまっている」というジャスト・ワン・アイデアの下に非常によく練られたストーリーだった。

テレビや映画で仕事をしてきた是枝監督が考えた、未来ではテレビドラマがなくなっているという設定が何とも言えず皮肉が効いていて面白く、タイムマシンもののドラマとしてありがちなところには全く行かずにうまくまとめたもんだと、観ているほうまで嬉しい気持ちになった。

しかし、そういう設定やストーリーの面白さもさることながら、iPhone だけで、カメラと役者の距離、その角度、役者と役者の距離、役者と事物や背景との距離、そして役者の動き/移動とカメラの動きを組合せて行くとこんな画が撮れるんだと感心してしまった。

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