久しぶりに当たった
【12月1日 記】 以前このブログにも書いたことがあると思うが、僕は懸賞に応募するのが好きで、生涯を通じてそこそこいろんなものが当たってきたと思う。
今回は「カルビー大収穫祭2024」に応募して、北海道産じゃがいも「ぽろしり」2kg + オリジナルエコフェルトミニバッグ + ポテトチップス「コンソメパンチ」のセットが当たり、昨日届いた。
【12月1日 記】 以前このブログにも書いたことがあると思うが、僕は懸賞に応募するのが好きで、生涯を通じてそこそこいろんなものが当たってきたと思う。
今回は「カルビー大収穫祭2024」に応募して、北海道産じゃがいも「ぽろしり」2kg + オリジナルエコフェルトミニバッグ + ポテトチップス「コンソメパンチ」のセットが当たり、昨日届いた。
【11月30日 記】 映画『雨の中の慾情』を観てきた。
片山慎三監督の作品を初めて観たのは『岬の兄妹』で、とんでもない映画を撮る監督だと仰天した。その次の『さがす』もやばかった。その片山がつげ義春の漫画を映画化するという。これまたやばい組合せだ。何が何でも観たいと思った。
いつもの『NO MORE 映画泥棒』が終わると、画面はいきなり怒涛のコラージュである。猿の後尾やら、なんか昔の映画の一部やら、何の脈略もないが、なんかすごい。製作や配給の会社のロゴもごちゃ混ぜに入っていたのだが、結局どの部分がロゴだったのかよく分からないうちに終わってしまった。
そして冒頭のシーン。土砂降りの雷雨の中、かろうじて屋根のあるバス停で濡れそぼったスカートを絞って水を切っている女。そこに同じくびしょ濡れになって駆け込んできた義男(成田凌)
義男は女に金属は危ないと言って指輪を外させる。そして、洋服の金属ボタンも、ブラのホックも危ないと言って脱がせ、やがてパンツもナイロンだから静電気が起きると言って逃げる女を追いかけて、激しい雷雨の中ドロドロの道の上ででそれをひっぺがし、背後から激しく突く。
激しいシーンだ。Netflix の『地面師たち』の1シーンが「激しいセックス描写」と評されるのを読んで、僕は「洋服を着たままのあんな不自然な描写のどこが激しいセックス・シーンなんだ?」と腹を立てていた。激しいセックス・シーンというのはこういうのを言うのである。
昔のポルノ映画みたいなぼかしが入っているのはいただけないが、まあ、その辺も狙ってのことなのだろう(笑)
で、実はここまでのシーンがつげ義春の『雨の中の慾情』の全てなのだそうで、それ以外につげ原作のいくつかの作品を混ぜ合わせ、さらに片山監督の自由で大胆な発想と柔軟な制作体制の中でどんどん新しい設定やシーンが加わったと言う。
戦争のシーンが出てきたのは(しかも、それがかなりの重みをもって出てきたのには)少し驚いた。つげ義春と言うより水木しげるを思い出させた。
とは言え、これはやっぱりベースにつげ義春の世界がある。特に商店街に広告出稿のお願いに回るシチュエーションなどは、まさにつげ義春の如何ともし難い状況の如何ともし難い心情である。切なくてうら寂しい。
【11月29日 記】 Amazon Prime Video で実写版の『推しの子』を見始めました。
まずは Amazon でエピソード6まで観て、その後 12/20 に公開される映画を観に行くつもりです。原作漫画もアニメも見てなかったので、どんな話なのか全く知らずにエピソード1を観たのですが、めちゃくちゃ面白かったです。
そもそも僕が齋藤飛鳥のファンということもあるのですが、映画の予告編を見た途端に、それまで全く興味のなかったこの作品を発作的に「観たい!」と思ったのでした。
で、とりあえずエピソード1を見終わって、はあ、こんな設定の話だったのか!と驚きました。ああ、「推しの子」って、そういう意味だったのか!──と。ただのアイドル成長物語かと思っていたのですが、これは結構入り組んでいます。
そして、そのとんでもない設定が面白いです。今後がとても楽しみ。
演出のスミスも脚本の北川亜矢子も、僕が勤めていたテレビ局とは結構縁が深い人です(ちなみにもうひとりの演出家は松本花奈らしいです)。
僕はかつて twitter に「これからは悦吏子ではなく亜矢子の時代が来る」と書いたことがありましたが、今こうやってこのお二人がこういう大きな仕事を手掛けられているのを大変嬉しく思っています。
【11月28日 記】 僕は観たい映画を公開日順にかなり先までリストアップしているが、毎年 12月になるとそのリストがややスカスカになってくる。
多くの映画が冬休みに合わせて、冬休みが始まるころに公開するので、必然的に前半が薄くなるというのが理由のひとつである。
それから、もうひとつの大きな理由は、賞獲りレースにおいては 12月公開というのは審査員の投票日までの日がなく、不利だということもあるのだろう。
【11月26日 記】 映画『アングリースクワッド 公務員と7人の詐欺師』を観てきた。
2018年の『カメラを止めるな!』は、観る前にはかなり躊躇したのだが、実際観てみたら最高に面白かった。
しかし、あの映画はジャスト・ワン・アイデアの、しかも、そのアイデアが半端なく冴えていた作品で、それだけに「あれをもう一度やるわけには行かないだろう」という気がして、それ以降上田慎一郎監督には逆に期待する気持ちが湧き起こらなくて、作品も一切観ていなかった。
今回は知人が facebook と note でこの映画を激賞していたので観に行ったわけだ。
とは言え、上田監督のオリジナルでもないし、紹介文などを読む限りはフツーのエンタテインメント作品ではないか。あの『カメ止め』の上田監督が撮るにはあまりにありきたりだなあと、今回も少し乗り切れないまま観に行ったわけだが、しかし、観てみるとこの映画もまた傑作だった。
この作品を上田監督に提案したプロデューサーは上田監督の作品を『カメ止め』以前から観ていたのだそうで、うむ、確かにそういう人でなければ『カメ止め』の先入観があまりに強すぎて、こんな映画を作らせようとは思わなかったかもしれない。
韓国ドラマの原作があるとは言え、原作は 16話もあり、それを2時間の映画にするのはさぞかし大変だったろうと思う。脚本は上田監督と岩下悠子という人。この人はそれほど実績のある人ではない。
でも、よく書けた脚本だったと思う。笑いも存分に取れていたし。
上田監督は、出演者の提案も受けて何度も何度も現場で脚本を書き直したと言うが、ああ、この人は基本的に台詞を書く力があるんだろうな、と思った。
さて、上田監督にとってはこんなに大勢の名の通った役者を使うのは無論初めての上に、スタッフの座組も本格的で、「ワンカット撮るのにこんなに時間がかかるんだ」と思ったと言っているが、主演の内野聖陽を中心に上手にチーム作りが進み、コミュニケーションが巧く行ったようだ。
【11月22日 記】 角田光代の小説を読むのは実に久しぶり。2016年の『対岸の彼女』以来ということになる。
「以前は人生の暗い面ばかり描いてきたが、あることがきっかけで今では人の希望を描くようになった」みたいなことを角田自身が言っているのを何かで読んだが、久しぶりに読んでみると、確かにそういう部分もあるような気もするが、あんまり変わっていないような気もする。
この小説は柳原飛馬を主人公とする話と望月不三子を主人公とする話が交互に出てくる。飛馬は少年時代から、不三子は高校時代から始まり、ともに人生の長い期間が描かれている。
そこには(以前の?)角田光代らしい、人生におけるトラウマめいた事件を描いた部分も多い。
2人ともある意味でなんとか他人の役に立ちたい、誰かを助けたいと思うのだが、そんなには上手く運ばないのである。
で、この2人の話が却々繋がらない。読んでいる途中で、一体いつになったら繋がるのかとじれてしまう。
しかも、飛馬のエピソードはどれも結構面白いのだが、不三子のほうは(ひょっとしたら僕が男だからかもしれないが)それほど面白くない。
【11月22日 記】 映画『アット・ザ・ベンチ』を観てきた。
存在さえ知らない完全ノーマークの映画だったのだが、会社員時代の2年先輩で映画好きのT氏に教えてもらった。これは見逃さなくて良かった。
思えば新入社員時代、T氏は僕の映画鑑賞の先生みたいな存在だったのだ。
奥山由之という監督も、僕は聞いたことがなかったのだが、これだけの俳優が集まるということはポッと出の人ではないはずだ。
調べてみたらやっぱり、ポカリスエットやコカ・コーラの CM や、米津玄師・星野源・サカナクションらの MV を撮ってきた人。
でも、僕がこの作品を見たいと思ったのは、T氏の言葉でも監督の経歴でもなく、オムニバス5編(5話ではなく5編という表現を採っている)のうちの2編の脚本を生方美久が手掛けていたからだ。僕はもうこのところこの脚本家にぞっこんである。
さて、この映画の舞台は東京(二子玉川らしい)の川沿いにある古ぼけたベンチ。かつては公園であったところが取り壊されて、滑り台などの遊戯も撤去され、かつては3つあったベンチも今残っているのはこのひとつだけ、という設定。5編とも会話劇、それも相当アップテンポで濃密な会話劇である。
倉本聰という大御所が脚本を書いた映画だが、実は僕は倉本聰作品にはほとんど接することなく今日に至っている。『前略おふくろ様』も『北の国から』も『やすらぎの郷』も観たことがない。
今回観ていてすぐに思ったのは、とてもよく整理された脚本だということ。設定やストーリー作り、台詞回しなどもあるんだろうけれど、彼が脚本の名手と言われるのは多分こんなところにあるんだろうなと思った。
冒頭が田村安奈(小泉今日子)が占い師に見てもらっているところ。どうやらかなり当たっているらしい。
その一連の台詞で安奈と夫である日本を代表する画家・田村修三(石坂浩二)の現在の関係性を観客に説明する。そして、安奈は最初否定し、その後はぐらかすが、占い師は彼女の心の奥深くに思いを寄せた男がいると言う。
映画の出だしとして、とても巧い構成だと思う。
そして、その次の修三の展覧会のシーンからストーリーは動き出す。
そこに展示してあった作品のひとつが修三自身によって贋作だと見抜かれるのである。しかも、修三はこの贋作作家のほうが自分より上ではないかという実感を抱いている。
そこからはちょっと複雑になってくる。
映画は観客にいろんな謎を投げかけて観客を引っ張る。登場人物の多い話で最初は見えない部分も多いのだが、しかし、観客が混乱する前に巧みに情報を小出しにして繋げてくる。
それでまたその設定に引っ張られて観客は前のめりになる。やっぱりとても手際の良い脚本だと思う。
観ていると最初のほうで想像がつくことなので、ネタバレを恐れず書いてしまうと、その贋作を描いたのが津山竜次(本木雅弘)という画家で、元は修三と同じ先生に師事していた美大の同窓生であり、かつ安奈の恋人でもあった。
【11月21日 記】 気がついたら最近銀行に行く回数も ATM で現金を引き出す額も減ったように思う。
会社を辞めて年金以外に定収入がなくなってしまったので、意識して節約に努めているという面もある。
しかし、騙されてはいけない。
そこにはキャッシュレスの支払いが圧倒的に増えたという背景もあるのだ。
【11月18日 記】 フロッピーディスクを象った「保存」のアイコンを見るたびに、このマーク、一体いつまで使うんだろ?と思う。事実若い人の多くはなんでこれが保存を意味するのか分かっていないらしい。
しかし、それにしても「保存」の新しいマークを考えるのも難しい。USBフラッシュメモリを図案化するか?
しかし、最近ではクラウドに保存するほうが多いのではないか?
かと言って雲マークなんかにしてしまうと「保存」ではなく「アップロード」の意味になってしまいそうだし…。
ことほど左様にアイコンやマーク、ピクトグラムなどを考えるのは難しい。
ピクトグラムと言えば、たとえばすぐに思い浮かぶのがトイレのマークだ。
男子トイレの男性の人形(ひとがた)、女子トイレの女性の人形。この2つが対になっていることによって、全く知らない人でも「あ、トイレなのかな」と思うはずである。
男子トイレのマークは青だったり黒だったりする。女子トイレのマークは大抵赤かピンクだ。そして男子トイレの人物はズボン、女子トイレの人物はスカートを穿いている。
男がネクタイを締めていたり女がリボンを付けていたりするバリエーションもある。
でも、これらはジェンダー・バイアスの最たるものである。
Twitter の初期のころに、うっかり「女の子はいいなあ、スカートが穿けて」と呟いたら、(正式名称は忘れてしまったが)「スカート男子の会」みたいな団体の人から「男だってスカート穿くよ」とのリプをもらったことがある。
抗議っぽいメンションでもなかったし、そんなに怒っている感じでもなかったので良かったが、確かにそうだ、と自分の迂闊さを反省した。
男が黒や青で、女が赤かピンクというのもとんでもない時代錯誤である。男だってピンクを着る。
そう、確か雑誌『メンズノンノ』創刊号の巻頭特集が「ピンクが着たい!」だった。調べてみたらあれは 1986年だ。
【11月16日 記】 映画『ルート29』を観てきた。
精神病院にいる女性・木村理映子(市川実日子)から、離れ離れになっている娘・ハル(大沢一菜)を連れてきてほしいと頼まれた清掃会社勤務の女性・のり子(綾瀬はるか)が、ハルと一緒に最初は車で、その後は徒歩で、姫路から鳥取に向かうロードムービーなのだが、しかし、それにしても今時珍しい不思議な感じのする映画である。
考えてみたら、僕らの若い頃にはこういう作風の映画がたくさんあったなあと思うのだが、しかし、昨今はとかく解りやすいものばかりが受ける中、よくもこんな、悪く言うと解りにくい、良く言うと観客の思念が広がって深まる映画を選んで作ったものだ。
映画製作に関わったそれぞれの会社で、よくこんな企画が通ったものだ。関係者の熱量が慮られる。
何しろ原作は小説ではなく詩である。そこからイメージを膨らまして物語を構成したのだ。すごいと思う。
何しろパンフレットに最果タヒが文章を寄せるような映画なのである。
森井勇佑監督の前作(にして、かなりの高評価を得たデビュー作)『こちらあみ子』を観ていないので、よく知らないのだが、この監督ってこういう作風なのかな、などと考えながら観た。
ちなみにこの映画でハルを演じているのが、あみ子を演じた大沢一菜である。
【11月14日 記】 ドラマやアニメでは、誰かに恋心を抱かれているのにそれに全く気づかないというシチュエーションがよく描かれる。
例えば僕が今観ているものでは、『海に眠るダイヤモンド』では朝子(杉咲花)は鉄平(神木隆之介)のことを一途に好きなのに、鉄平は全くそれに気づかない(周りは結構気づいている)。
アニメ『アオのハコ』では雛は大喜のことがずっと好きなのに、大喜は千夏先輩に首ったけで、雛の気持ちには全く気づかない。
これら以外にも、学園モノのテレビドラマや映画ではそういう状況が何度も描かれてきた。
しかし、そんなことってそんなにしょっちゅうあるんだろうか?と僕は思うのである。
「お前がそう思うのは、お前があまり人に好かれないのでそういう経験がないからだ」と言われると、そりゃまあ全面否定はできないが、しかし、そんな僕でも、長い人生にあっては、自分が好かれているなと感じたことはある。しかも何度か。
中には「いや、困ったな」としか思えなかったこともあったが、逆にそこから彼女を意識するようになって恋に発展したこともある。
ま、しかし、なんであれ、好意を持たれていればフツー気づくだろ?と思うのである。
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