Sunday, December 09, 2018

映画『来る』

【12月9日 記】 映画『来る』を観てきた。

このタイトルのネーミングは、Stephen King の "IT" に通じる巧さがある。“それ”が何なのかは分からないが、でも確かに“それ”は存在して、確かに“それ”は“来る”のである。で、この映画の中では、その主語に当たるものは“あれ”と呼ばれている。

原作の小説は『ぼぎわんが来る』という題だったそうだが、ここから主語を削除したのは見事なアイデアだ。“来る”のが何なのか分からないわけで、そのほうがずっと怖い。

でも、僕が観たのはホラーだからではない。中島哲也監督だからだ。そして、映画が始まって怖い場面になった瞬間から、そこにあるのはまさに中島哲也監督ならではの映像美の世界だった。

血が美なのか?と言われるとちょっと違うと言う人もいるだろう。でも、それは、自分の血であれ他人の地であれ、ともかくそれが噴き出すのは怖いことなので美に結びつかないだけであって、実は一番身近にある強烈な赤色であり、それはやはり根源的に美であるように思う。

ここではスプラッタ的な美と、日本伝統の様式美と、そしてコンピュータによる幻想的な美の3つが合わさったような感じがあった。この壮大な仕掛けを、映像芸術と呼ばずに何と呼べば良いだろう?

事実この映画はホラーという枠に収まるものではないのだ。出演者のひとりである松たか子も言っている:「みなさんおっしゃることかもしれませんが、むしろ“あれ”の存在を通して人間を描こうとしているように、私には思えました」と。

そして、中島監督自身もこう言っている:「原作の小説を映画にしたいと思った理由は、登場人物が面白かったことに尽きます。この人たちを実写にしたらどうなるんだろう?と興味が湧きました」と。

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Friday, December 07, 2018

AMAZON MUSIC UNLIMITED

【12月7日 記】 先月から AMAZON MUSIC UNLIMITED に入っている。お試しで使ってみて聴ける曲の豊富さに満足した、ということもある。

昔と違って今のオーディオ機器は Bluetooth に繋がるので、iPhone や iPad を操作してスピーカから音楽を簡単に再生することができる、ということもある。

でも、直接的な銃爪は、有料CS と SVOD の動画サイトの2つを退会したことである。

この2つで AMAZON MUSIC UNLIMITED の月会費は楽に払えてお釣りが来る。仮にこれらを継続したままだったとしたら、たとえ月額780円とは言え、追加支出をためらっただろうと思う。

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Tuesday, December 04, 2018

『音楽理論がおもしろくなる方法と音勘を増やすコツ』いちむらまさき(書評)

【12月2日 記】 久しぶりに入ったリアル書店でふと目に留まって、立ち読みしたら面白いので買ってしまった。家に帰るまで全く気づいていなかったのだが、著者はいちむらまさき。ギターやウクレレのたくさんの教則本を書いている人で、僕はこの人の本を持っている:

『ウクレレ上達100の裏ワザ』──このウクレレ教則本は却々実戦的な名著である。

この人が書いた別の音楽理論めいた本を以前手に取ったことがあるのだが、それはどっちかと言うとちょっと何だかなあという感じだったのだが、この本はよくできている。

我流で楽器を始めてしばらくすると、まあ人にもよるが、理論的にはどういうことになっているのかをもう少し学びたくなる。まずはコード理論だろう。

そんな時にまかり間違ってジャズ系の本を買ってしまうと、最初の数ページは良いのだが、だんだん難しくなって訳が分からなくなるような経験をした人は多いのではないだろうか。

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Monday, December 03, 2018

映画『いつか輝いていた彼女は』

【12月3日 記】 映画『いつか輝いていた彼女は』を観てきた。

新人の登竜門的な、音楽×映画の祭典である MOOSIC LAB にエントリーされた中の一作で、今夜見たのは『1人のダンス』『下鴨ボーイズドントクライ』と3本建てになった<Cプログラム>だったが、僕は最初からこの『いつか輝いていた彼女は』狙いだったので、今回はこの映画に絞って書く。

そもそもは僕と twitter 上で長年の相互フォロー関係にある(何がきっかけでそうなったかは憶えていないのだが)女優の日高七海さんが出演している映画、というのが僕の耳に入った最初の情報だった。

で、ネット上を見ていると、これがまた観たの人の評判が良いのだ。それで、これは何が何でも観なければと思って、ちょうど今夜渋谷のアップリンクで上映するのを見つけて予約したら、なんと日高さんから「是非観てほしい」とのお誘いが。

おかげで、舞台挨拶に立った日高さんとも初めてリアルで会えたし、監督の前田聖来(まえだせいら)さんにも紹介してもらえた。

当然低予算で作られ、映画作りに慣れていないぎこちなさも残ってはいるのだが、脚本と役者がとても良いので、結構良い映画になっている。

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Sunday, December 02, 2018

映画『銃』

【12月2日 記】 映画『銃』を観てきた。武正晴監督。奥山和由プロデュース。

ほとんどがモノクロ。ここぞというところで何度かカラーになる。それがどういうシーンなのかは、これからご覧になる人のために書かないでおく。

もしも銃を拾ったら、という単一の仮定から広げて行ったドラマ。それだけにもっと退屈な作品に堕ちても仕方のないところだが、話の広げ方が巧い。

最初はこわごわ拾う。それから銃を持っていることの高揚感。下手するとそれが全能感にも繋がる。関係ないことにまで自信が漲る。一方で銃を持っているのが見つかるのではないかという不安感。にもかかわらず、あえて危ない方向に一歩踏み出してみたい気持ち。

やがて何かを撃ちたくなる。何かを撃つと、今度は多分、人を撃ちたくなる。そういう心理の動きが巧みに描かれている。

でも、僕が見終わっての第一印象は「何かが足りない。何かもうひとひねり必要だったのではないか?」だった。

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Saturday, December 01, 2018

映画『ギャングース』

【12月1日 記】 映画『ギャングース』を観てきた。

入江悠監督は『SR サイタマノラッパー』で名を挙げた人だ。シリーズ最初の作は僕も観たのだが、その後もサイタマノラッパーばかり撮っている印象があって、ああ、この人はひょっとしたら一生サイタマノラッパーを撮り続けるんだろうか、とまでは思わないにせよ、一生自主映画っぽい監督で終わりそうな感じがあった。

しかし、そんな風に思っていると、今度は『劇場版 神聖かまってちゃん ロックンロールは鳴り止まないっ』が出てきて、僕はこの映画で、あっ、この人、他の映画も撮れるし、結構すごい!と大いに見方を改めた記憶がある。

ところが、その後 WOWOW でドラマWを何本か引き受けたり、『ジョーカー・ゲーム』や『22年目の告白 ─私が犯人です─』を撮ったりするに至って、あらら、なんだかフツーの(つまり自主映画っぽくない)監督になっちゃったな、と思っていた。

別に自主映画が偉くて商業映画が堕落しているなどと言うつもりはまるでないが、今回の映画はサイタマノラッパーやかまってちゃんが帰ってきた感があって、僕は嬉しかった。

この2本は音楽をテーマとした映画だが、今回の『ギャングース』では渡辺大知、金子ノブアキ、MIYAVI という3人のミュージシャンが出演していて、やっぱりこの監督は音楽と通じたところのある人だと思った。

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Wednesday, November 28, 2018

SONGS & FRIENDS 小坂忠 HORO(追記)

【11月28日 記】 1日空けて少し感想めいたものを。

1975年に発売された小坂忠の『HORO』は歴史的な名盤である。「幻の名盤」などとは言わない。知っている人はしっかりと知っているからこそ、この日のコンサート会場である東京国際フォーラム ホールA(約5000人収容)の前に長蛇の列ができたのである。

このレコードは小坂忠が、デビュー以来の盟友である細野晴臣をプロデューサーに迎えて作ったソロ・アルバムで、彼自身が言っているように、このアルバムで彼の歌のスタイルが確立した作品だ。

それまでのフォーク・ロックっぽい小坂忠からソウルフルな小坂忠を細野晴臣が引っ張り出したと言っても良い。そして、娘の事故を経て彼が信仰の道に入ったということも相俟って、彼の歌はここからゴスペルにも通じて行く。

この日のコンサートは編曲家の武部聡志が企画しているシリーズの第2弾で、言わばこのような歴史的な名盤/名曲を若い世代にも繋いで行こうという意図に基づいている。

従って、この日のコンサートには、小坂忠本人と、彼の若い頃からの仲間たちと、そして、小坂忠をリアルタイムで聴いた世代と、後から遡ってこのアルバムにたどり着いたもっと若い世代のミュージシャンが勢揃いしている。

そして、小坂忠本人と、若い世代のいろんな歌手が『HORO』のナンバーを歌う。2つのバージョンで2回歌われた曲も多かったし、このアルバム以外の曲も何曲かやった。

オープニングは大規模な聖歌隊によるジョー・コッカーの You Are So Beautiful だった。アンコールの最後もこの曲だった。他にもゴスペルの名曲である Amazing Grace もやったし、小坂忠の HORO 以前の作品もたくさん取り上げた。

オープニングに引き続いて武部の挨拶があり、それに続いて出てきたのは小坂忠の実の娘である Asiah である。彼女は伸びやかに Unforgettable を披露した。

そして漸く出てきたのが小坂忠(ギター、ボーカル)、林立夫(ドラムス)、後藤次利(ベース)、松任谷正隆(キーボード)、駒沢裕城(ペダルスティール)の5人である。単に豪華な取り合わせだなと思った人もいるかもしれないが、これが 1972年に結成されたバンド、フォージョーハーフ(「四畳半」の英訳)のオリジナル・メンバーなのである。

このバンドにはリード・ギターがいない。その分を駒沢裕城がスティール・ギターのソロで埋める。駒沢はその後もはちみつぱいとか、いろんなバンドやセッションで活躍した、日本ロック界唯一無二のスティール・ギタリストであるが、彼の奏でる粘りとうねりに満ちた響きがなんとも心に響く。

後年は大ヒットを連発した歌謡曲の作曲家として知られる後藤次利も、元はと言えばフォージョーハーフの後サディスティック・ミカ・バンドなどで活躍した日本ロック界屈指の超テク・ベーシストだ。僕はこの日、彼のベースをほんとに久しぶりに聴いた。

そして、フォージョーハーフの前に小坂忠が組んでいたのがエイプリル・フールで、ご存知のない方はメンバーを聞いてもう一度驚くと思うが、小坂の他、松本隆(ドラムス)、細野晴臣(ベース)、柳田ヒロ(キーボード)等である。

ここまで書いてきたうちの、松本隆と柳田ヒロ以外の全員がこの日のステージに上がっている。

小坂忠はその後、ロック・ミュージカル HAIR のオーディションを受けてそちらの舞台に行ってしまうのだが、それがなければひょっとしたらはっぴいえんどのボーカリストになっていたかもしれなかったという逸話を聞いた。そして、小坂忠のところに通ってレコーディングにも参加していたのが当時のスーパー中学生のピアニスト荒井由実だったという話も面白かった。

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Monday, November 26, 2018

SONGS & FRIENDS 小坂忠 HORO

【11月26日 記】 SONGS & FRIENDS 小坂忠 HORO の4時間近くに及んだ怒涛のライブが今終わって出てきた。

これだけのものすごいメンバーが同じステージに上がり、一体となって素晴らしい音楽を聴かせてくれたこの夜のことを、僕は一生忘れないだろう。

ステージ上のレジェンドたちと観客席の一般聴衆という関係ではあるが、この時間を共有できたことは、ほんとうに奇跡だと思う。

すごかった。なんだか分からないけれど、万物に感謝したい気持ちである。

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Sunday, November 25, 2018

映画『ハード・コア』

【11月25日 記】 映画『ハード・コア』を観てきた。いやもうほんとに、べらぼうな映画である。

権藤右近(山田孝之)は定職にもつかず、ゴミ溜めみたいなボロ・アパートに住んで、しょっちゅう酒を飲んでは生来の一本気が災いしてケンカばかりして、弟の左近(佐藤健)にいつも尻拭いしてもらっている。

左近は立派な商社マンだが、自分の生活に充実感は感じてはいない。兄とは考え方も感じ方も正反対だが、それでも酔いつぶれた兄を引き取りにバーに来たり、母親に頼まれて汚いアパートに様子を見に行ったりしている。

牛山(荒川良々)は、ある風の強い日にこの街にふらりとやってきて、今では廃墟になっている化学工場の跡地で起居している。「あ」とか「う」とかしか言わないのだが、どうやら言わないんじゃなくてろくに喋れないらしい。

右近と牛山はは国粋主義の活動家・金城(首くくり栲象)に拾われて、番頭・水沼(康すおん)の下で徳川埋蔵金発掘のアルバイトをして、月に7万円もらっている。右近はいつも牛山を庇い、女を知らない彼になんとか経験させてやりたいと躍起になったりしている。

そんなある日、牛山は自分の住む化学工場の廃墟でロボットを見つける。これがもう、なんというか1960年ごろの SF に出てきそうな代物で、外見を見る限りそんなものがまともに動くことさえ信じられないのだが、コンピュータに詳しい左近によると、NASA や Google でも開発できなかった先進の AI であるらしい。

で、右近と牛山はロボットにロボオという名前をつけて、翌日から服を着せて埋蔵金発掘現場に連れて行く。

って、一体どんな話やねん!て思うでしょ? 一体頭のどの辺りがそんなことを考えるのか?と不思議になるでしょ?

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Saturday, November 24, 2018

映画『エリック・クラプトン ~12小節の人生~』

【11月24日 記】 映画『エリック・クラプトン ~12小節の人生~』を観てきた。日比谷の TOHOシネマズシャンテは1席たりとも余らない満席だった。

この映画を観に来た人であれば知らないはずはないので、いちいち書く必要もないかも知れないが、サブタイトルは典型的なブルーズの形式である12小節のブルーズ・コード進行から来ている。

僕には昨日見たクイーンより、今日のエリック・クラプトンのほうが遥かに胸に沁みた。

僕がエリック・クラプトンを聴き始めたのはクリームからなので、ヤードバーズやジョン・メイオールのバンドの曲は後追いで知ったに過ぎない。いや、自分の頭の中で若干記憶が混濁してしまっているが、クリームも実は後追いのはずだ。

なにしろ僕が生まれて初めて自分で買ったレコードが『バングラデッシュのコンサート』だったのだから。

あの伝説のコンサート、あの伝説のレコードの中で、クラプトンをバックにジョージ・ハリスンが歌うのを聴いたのが多分最初だろうと思う。While My Guitar Gently Weeps のギター・ソロがめちゃくちゃカッコよかった。

初めて彼を知った瞬間からずっと、僕ら当時の音楽少年たちは、今に至るまで、彼のことをエリックではなくクラプトンと呼んできた。クリームのレコードに手を伸ばしたのはあの直後かもしれない。

でも、クリームを聴いて僕がまずぶっ飛んだのは、ジャック・ブルースの奔放極まりないベースであり、あんな複雑なフレーズを弾きながら歌うところであり、そして、ジンジャー・ベイカーのどこまでも疲れを知らない変幻自在のドラムスであり、クラプトンはむしろ地味な存在だった。

で、ブラインド・フェイスを経て、多くの人がそうだったと思うのだが、デレク&ザ・ドミノスの Layla の(これもひょっとしたら後追いで聴いたのかもしれないが)、あの前奏からいきなり転調してメロディに入るところで頭をレンガで殴られたようなショックを受けた。

でも、正直言って、I Shot The Sheriff 以降、Tears In Heaven まで、しばらく彼のことは忘れてしまっていた。その間に彼がとんでもない薬物依存症とアルコール依存症に陥っていたとか、息子を事故で亡くしたとかいうことは、彼が Unplugged で復活したあとに知ったことだ。

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Friday, November 23, 2018

映画『ボヘミアン・ラプソディ』

【11月23日 記】 映画『ボヘミアン・ラプソディ』を観てきた。

彼らの曲の中には好きな作品もあるが、Queen というバンド自体に対しては、僕はそれほどの思い入れがない(あの時代にふさわしい、ものすごく分かりやすい表現をすると、アルバムは1枚も持っていない)。

70年代、80年台というのは様々な音楽が花開いた時代で、僕がその20年間で熱中したのは T.Rex, よしだたくろう、Yes, ムーンライダーズ、 Cyndi Lauper, 佐野元春らだった。

こうやって並べると何の脈略もないので、そこに Queen が入っていても不思議はないのだが、彼らのデビュー以来の曲構成とコーラスワークの絶妙さが、却って当時中高生の僕に「あれはロックではない」と断罪させてしまった面は否めない。

だから、この映画も当初観る気はなくて、むしろ同時期に公開される『エリック・クラプトン』を心待ちにしていたのだが、みんながあまりにこの映画を褒めるものだから『エリック・クラプトン』に先立って観ることにした。

見終わって、と言うか、見始めてすぐに思ったのだが、この映画は完全にカメラワークの勝利だと思う。主に細かいカットを繋いで行く手法なのだが、アングルが非常に多彩だし、カメラに収める対象の選択が的確で、画は美しく、演奏シーンは非常にビビッドである。

斜に構えた中高生が少し避けてきたサウンドも、今日改めて聴くと却々ロックではないか(笑) 勝手にフレディのワンマンバンドであるかのように思っていたが、他の3人のセンスと力量を改めて思い知らされた気がして、なんだか幸せな気分である。

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Wednesday, November 21, 2018

元号の理屈

【11月21日 記】 僕は元号をできるだけ使わずに西暦で書くようにしている。

別にイデオロギー的な反発があるわけでもなかったのだが、元号が法制化されたときの理屈づけにカチンと来たからである。

あのとき政府は元号を法制化するに際して、日本人の87.5%だか何だかが元号を使用しているという事実を根拠にした。──それはおかしな話である。もしも既に国民生活に充分浸透していると言うのであれば何ら法制化する必要などないはずではないか。

現状の利用率が何%であったにせよ、政府としてはそれに満足できず、もっと強制力を以て元号を浸透させたいからこそ法律を作るのである。

僕はその欺瞞的な論理を耳にして怒り心頭に発した。だから、それ以降、できるだけ元号は使わないようにしている。

とは言っても、自分の生活から元号を排除しようというほどのものではない。単に自分からはあまり元号を使わないようにしているという程度のものだ。でも、結局そのほうが、元号が2つにまたがったときの計算がやりやすいということもある。

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