Sunday, May 28, 2017

映画『美しい星』

【5月28日特記】 映画『美しい星』を観てきた。デビュー作『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』に魅せられて、以来ほとんどの作品を見てきた(そして一度も裏切られなかった)吉田大八監督の作品だが、今回は妻の趣味とも合致して、初めて一緒に見に行った。

で、今回も先に結論を書くと、僕も妻も結局のところよく解らなかった。けれど、ものすごく印象が深く、これは何の意味なんだろうと悩みながら、一方で勝手な解釈がどんどん膨らみ、ところどころ妙に納得してしまった。

そして、時間が経てば経つほど、自分の頭の中でこの映画の存在が大きくなって行く気がする。ひょっとするとこれは大傑作かもしれない。

パンフレットを読むと、出演している役者やスタッフがそれぞれいろんな解釈をしているのが解る。どれを読んでも楽しい。こうやって多様な解釈を許す映画は間違いなく良い映画である。

原作は三島由紀夫。読んでいない。が、これはどう考えてもかなり大胆に脚色しているはずだ(ちなみに脚本は吉田大八とチーフ助監督の甲斐聖太郎の共同)。そう思ってパンフを読むと、時代も人物も、エッセンスを残しながら大きく変えてある。

でも、原作が発表された際に、批判も多かった中でひとり高く評価していたという筒井康隆がこの映画を褒めているところからして、この改変は成功だったのだろう。

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Saturday, May 27, 2017

映画『マンチェスター・バイ・ザ・シー』

【5月27日特記】 映画『マンチェスター・バイ・ザ・シー』を観てきた。5月末にして今年初めての外国映画となった。僕は全くのノー・マークだったのだが、妻が観たいと言ったので。これがアカデミー脚本賞と主演男優賞を獲った映画だということも知らなかった。

で、結論を先に書くと、さすがに賞を獲るだけのことはある、素晴らしい映画だった。と言うか、まだアメリカ映画にもこういう作品があったのだと驚いた(普段あまり外国映画を観ないということもあるんだろうが)。

マッチョなヒーローもタフなヒーローも出て来ない。かと言って型破りなヒーローが抱腹絶倒の大暴れして、個性こそが一番大事、と暗にアピールするでもない。

主人公のリー(ケイシー・アフレック)は有能な便利屋ではあるけれど、コミュニケーション能力ゼロで、顧客とのトラブルが絶えない。無愛想で酒癖が悪く、酔うとすぐにけんかを売って殴り掛かる。手に負えない暗い男である。

そんな彼が、兄が死にかけているとの連絡を受けて、故郷のマンチェスター・バイ・ザ・シーに帰る(ちなみに他地区のマンチェスターと区別するためにこう呼ばれることが多いというようなことではなく、バイ・ザ・シーまでが正式な地名である)。

一足違いで兄は死んでしまい、その遺言によって、ひとり残された16歳の甥パトリック(ルーカス・ヘッジズ)の後見人になるために、彼はその街に居残らざるを得なくなる。でも、その街は彼にとってはとても辛い思い出の場所なのである。

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Friday, May 26, 2017

『忍びの国』追記

【5月26日追記】 関係者試写会でもらったチラシに記載がなかったので分からなかったのだが、7/1 公開の映画『忍びの国』の撮影監督は相馬大輔だった。

相馬大輔が撮った映画ならたくさん観ている。あらためて彼の撮った映画のリストを眺めてみると、僕が大好きな監督と組んで作った僕が大好きな作品が目白押しだ。

で、暫く眺めていて気づいた。

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Wednesday, May 24, 2017

隠蔽

【5月24日特記】 「日本の性教育は遅れている」という記事を読んだ。ものすごく大雑把にまとめてしまうと、日本はとかく性をタブー視して、隠蔽する方向に進むのだそうだ。

その記事によると、日本でも一時期性教育が「頑張っていた」時期があったのだそうで、その当時は教科書にコンドームの使い方が載ったりしたのだそうだ。ところがその教科書を見た保護者から猛烈なクレームが来て、掲載は取りやめ。以来、今の隠蔽路線が確立したとか。

セクスの仕方ではなく、あくまでコンドームの着用方法を教えたのに、どうしてそこまで激しい反発が起こるのか今イチ僕には分からない。

覚醒剤の使い方を教えたわけではない。覚醒剤は一生使わないほうが良いのだろうけれど、性交は一生しないほうが良いというものではないだろうし、コンドームだって生涯遠ざけておけば良いというものでもないはずだ。

が、その一方で、コンドームのつけ方って教科書に載ってないとダメなのか?という気もする。

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Tuesday, May 23, 2017

撮影監督

【5月23日特記】 僕は映画館で映画を観たら原則としてパンフレットを買う。それは主に記録をつけたいからだ。

僕は自分の観た映画の記録をつけている、多少の漏れはあるかもしれないが、生まれてこの方、映画館と試写室で観たほぼ全ての映画の記録をつけている。

と言っても、クレジットされている全てのキャストとスタッフの名前を書き留めているわけではない。

僕は素人だから、全然違いの分からない「録音」の担当者の名前は書き留めていない。違いをほとんど見抜けない「照明」の担当者も、控えておく意味がないので書いていない。

「編集」についても記録していない。A案と B案を並べて見せられたのであれば(あるいは編集前の素材全てと完成後の比較させてくれたなら)あっちの編集のほうが良いとかこっちのほうが良いとか言えるかもしれないが、完成版だけを見て作業前の状態を思い浮かべることができないので。

でも、もちろん、言うまでもないが、監督名は控えている。プロデューサー名も控えている。これらは間違いなく次に映画を見るときの参考になる(もっとも、プロデューサーの場合は、「エグゼクティブ・プロデューサー」や「製作」なども含めて、直接的にはほとんど何もしていない人も含まれているので要注意ではあるが)。

ファースト助監督の名前もつけている。これが記録していると意外に記憶に残るもので、監督デビューした時に、「あ、あの監督についてた人か」と、これまた参考になる。

脚本の出来に映画の出来が大きく左右されることは言うまでもない。撮影監督の力量や指向性の違いも大きく反映される。

そんなこともあって、鑑賞年月日や劇場、タイトルなどと並んで、上記のスタッフの名前を記録しており、それを記録するためにほぼ必ずパンフレットを買うのである。

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Sunday, May 21, 2017

5/21サイト更新情報

【5月21日特記】 サイトを更新しましたのでお知らせします(このブログではなく、併設している私のHPの更新案内です)。

今回もレギュラーの言葉のエッセイ1編だけです。

前回は2つの「ない」について書きました。それから、先月は村上春樹の『騎士団長殺し』の書評を書きました。今回はその両方が繋がったような形で、騎士団長の特徴的な喋り方「あらない」について書ました。

というわけで今回の更新は下記の通り:

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Saturday, May 20, 2017

映画『帝一の國』

【5月20日特記】 映画『帝一の國』を観てきた。

この映画については激賞と酷評の両方を読んだ。そういう映画を観に行く時はそわそわドキドキしてしまう。

「良い映画か悪い映画か、俺が見極めてやるぞ」というようなことではない。むしろ逆だ。僕がこの映画を褒める人間なのか貶す人間なのかを見極められてしまう──そういう感覚である。

どちらかが正しくてどちらかが誤った見方なのではない。ただ、道はいつも二股に分かれているのだ。

時代は昭和。名門・海帝高校1年の赤場帝一(菅田将暉)が生徒会長を目指す話だが、そう聞いて想像するようなほんわかした青春ドラマではない。

この名門校の生徒会長になることで将来への第一歩が刻まれ、そのレールに乗っかって行く行くは総理大臣になり、遂には「自分の国」を作るのだという固い意志で帝一は動いている。

逆に言うと、この高校で生徒会長になれなければ自分の未来はなく死んだも同じ、と、異常なくらい真剣に思いつめているのだ。帝一のライバルたちも似たり寄ったりの異常な執着ぶりである。

ただ、シリアスなドラマではない。コメディ、それもデフォルメ具合が半端ではないコメディになっている。

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Thursday, May 18, 2017

『ヒットの崩壊』柴那典(書評)

【5月18日特記】 Amazon の紹介文には激変する音楽業界の潮流を明らかにする本だとある。

僕はこの手の本を読んでいるほうだと思うが、割合厳選して読んでいるつもりなので、そんなに外れたことはない。この本もなかなか面白かった。

まず良いのは、楽曲や歌詞の分析という面ではそれほど深く掘り下げてはいないが、決して手付かずではなく、時代の傾向としてちゃんと押さえていること。音楽に関する本が音楽を語らずマーケティングばかりになってしまうほどつまらないことはない。著者はそのことをよく知っている。

その上で、著者個人の趣味や印象だけで語ることのないよう、数値的な面での検証を重ね、そして定性的な分析として、数多くのミュージシャン(小室哲哉やいきものがかりの水野良樹ら)や各界で音楽に携わる様々な関係者のインタビューを実施し、そこから見えてくるものをしっかりと再構築できている。

日本のロックやポップスに興味と関心を抱いてきた者でもめったに知らないような新奇なエピソードやデータも示してくれている。時代を追ってその時どきの歌手やヒット曲や番組、イベントなどの構造を分かりやすく紐解いてくれる。その例は極めて豊富で、かつ適切である。

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Tuesday, May 16, 2017

つぶやき8年

【5月16日特記】 twitter を始めた当初は、気にしても仕方がないとは思いながら、やっぱりフォロワー数の増減が気になった。公式でも何でもないとは言いながら、勝手に社名を掲げて社名を背負って呟いていたので、増えれば幾分誇らしく、減ればそれなりにプレッシャーを感じた。

だから、一挙にフォロワー数が増えたときなどは、「僕なんかフォローしてもあんまりご期待に添えないと思いますけど…」みたいなことをついつい呟いてしまいがちだった。こんな僕に過大な期待をかけられると辛いな、という心の現れである。

でも、考えてみれば、フォロワー数が僕の人間性や人格を測る指標であるはずがない。本来それは僕の書いた(呟いた)ものに対する人気の指数である。面白ければ読む。読みたければフォローする。──ただそれだけのことだ。

僕の書いたものを以て僕という人間の品定めをしようとする人もいるかもしれない。もちろんそれは勝手だが、でも、まあ、そんな勝手な評価を僕は気にする必要はないのだ。

比較的早くにその境地に達し得たのは、僕がインターネットを(日記や交流の場などではなく)基本的に作品(著作物)の発表の場だと考えているからである。

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Sunday, May 14, 2017

映画『夜空はいつでも最高密度の青色だ』

【5月14日特記】 映画『夜空はいつでも最高密度の青色だ』を観てきた。石井裕也監督の映画を久しぶりに観たいなと思って。

石井監督自身『バンクーバーの朝日』以来3年ぶりの作品だが、僕はそれを観ていないので『ぼくたちの家族』以来4年ぶりということになる。

オープニングにはちょっと感心した。タイトルからして青っぽい色から入るかと思ったら、いきなり赤色で攻めてきた。

冒頭は確かに夜の映像だが、ビル街の赤い灯りのほうが目に飛び込んでくる。その後、日の丸の赤、そして赤い服のジョガー。

監督名だけで選んでいるので全然知らなかったのだが、タイトルになっているこの素敵なフレーズはなんと21歳で中原中也賞を獲った詩人・最果タヒの、最新となる第4詩集の題である。

僕は詩集なんて滅多に読まないが、でも、決して読まないわけではなくたまに読むので、一般人と比べれば詩が好きと言えるのかもしれない。

詩が原作だからこの映画も勢い「映像詩」になる。そこはとても大事なところだ。詩なんて解らないと投げ出したら終わりだ。解らないという感覚に襲われたら、解らないまま味わうのが詩だ。意味ではなく味が、目や耳から脳に入ってくるはずだ。

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Thursday, May 11, 2017

UDP経営

【5月11日特記】 今日、Akamai のセミナーを聴講していて面白いなと思ったのは、UDP というプロトコルを改良してパケットを漏れなく伝送できるようにしたのが TCP ではなく、TCP のほうが先で、それを改良したのが UDP だという話。

それを聞いていて、

白河の清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋しき

という狂歌を思い出した。それはちょっと違うと言われるかな(笑)

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Tuesday, May 09, 2017

映画『無限の住人』追記

【5月9日追記】 映画『無限の住人』で書き忘れたことがある(これからご覧になる方は、感動が減ってしまうので、読まないほうが良いかもしれない)。

あの映画はモノクロで始まった。映画の一部にモノクロ映像が使われること自体は珍しくない。多くは回想部分だけがモノクロだったり、暗く悲しいシーンがモノクロだったりという手法だ。

三池監督がどのような意味を込めてモノクロにしたのかは、何しろ冒頭からいきなりのモノクロだから、観ている客からしたら見当もつかない。ただ、そうなってくると観客の興味はどこでカラーに戻すか、ということである。

まさか映画の中盤までモノクロで引っ張るということはあるまい。最初の何分間かで、何かをきっかけにして色を付けてくるはずだ。それはどのタイミングなのだろう?

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